「一人称単数」から始まった、村上春樹の新たな旅 — 「街とその不確かな壁」 — その6【完】
『自我と、自己への探求』 自我(エゴ)と自己(セルフ)の関係性についてですが、村上さんはこれまでにもかなりこだわって追求しており、その5でも述べた『若い読者のための短編小説案内』では日本の代表的小説家らをその視点から紐解...
『自我と、自己への探求』 自我(エゴ)と自己(セルフ)の関係性についてですが、村上さんはこれまでにもかなりこだわって追求しており、その5でも述べた『若い読者のための短編小説案内』では日本の代表的小説家らをその視点から紐解...
『村上春樹が、語り続けてきたもの』 今作で面白いのが、巻末に村上さん自身の筆による「あとがき」が付いていることです。過去作のリブート(再起動)だから、説明が必要だろうと思い書いたと述べていますが、中でも興味深かったのがそ...
『第一部と、それ以降の違い』 今作は冒頭部では主人公「私」の生い立ちと「きみ」との出逢い、そして別れ、さらに壁の中の街での暮らしが交互に描かれていきます。正直この冒頭から単行本で185ページまでの「第一部」を読むのは個人...
『悪の消失』 その1の最後で述べたように『街とその不確かな壁』がこれまでの村上作品と比べて、決定的に違う点のひとつとして「悪の消失」が挙げられると思います。処女作『風の歌を聴け』から徐々に進化を遂げ、羊三部作最後の『羊を...
『一人称への回帰』 短編集『一人称単数』で村上さんが確信的なのは、まず「一人称」という言葉をタイトルに用いたことです。彼の小説をある程度追いかけている方ならご存じだと思いますが、初期の一人称小説の時代を経て、「総合小説=...
『その街に行かなくてはならない。なにがあろうと』 上記の言葉は『街とその不確かな壁』特設サイトのキャッチコピーであり、単行本の帯にも大きく印刷されています。村上さんは小説を書いたら書きっぱなしではなく、装丁にもこだわりま...
『崩壊の予兆』 物語が決定的な転調を見せるのが、子供たちの誕生会だということで母に家を追い出された「わたし」が、バスで三十分もかかる喫茶店へと繰り出し、そこで試験勉強しようとするも、どうしようもなく眠気に襲われるシーンで...
『あみ子の先へ』 先に書いた『こちらあみ子』の評論で、僕はあみ子とはある種の「システム」であると述べました。システムとは【全体を統一する仕組みや方式】であり、まるで意思があるかのように自立的な運動を行います。前作において...
『5年後の再スタート』 日本文学史に残るであろう大傑作『こちらあみ子』を発表した今村夏子さんはその後、約5年間沈黙しました。これは仕方のないことだと思います。前に書いたあみこの評論でも述べましたが、あんなとんでもない作品...
『三人称と、巧妙な仕掛け』 今作で見事だと唸ったのが今村さんがあえて三人称でこの小説を書いたこと。加えてその使い方です。僕は小説家でないので分からない部分はありますが、それでも文章を生業にする人間の端くれとして、通常『こ...