政治×宗教×エンターテイメント=漫画による魂の総合小説「堕天作戦」が物凄い!— その2【完】

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『漫画というエンターテイメントで宗教を描く』

その1では漫画における総合小説の一例として、「進撃の巨人」を挙げました。過去の評論の中で僕は「進撃の巨人」が出色なのは、高慢で有効性のない理想論を鼻で笑う、現実世界に根ざした徹底的にリアルな視点であり、その結果として、「政治」を描ききった希有な漫画だと述べました。

今作における山本章一さんの描く「政治」もまた素晴らしく、現実を変えるのに何が必要かを突き詰めた「政治の魂」を描いています。例えば金の力で人間と魔人、すなわち人種の違いを融合させた、戴天党のシャクター将軍が述べる以下の台詞はちょっとエグいです……。何も変えられない、変える気もない現在の日本の政治家の方々(特に野党)には心して読んで頂きたい名文です。

魔人と人間の共存? 戴天党は、それのために献身する組織ではない。今までその手の試みが失敗続きだったのは、題目ばかりに重きを置いて、内実が伴わなかったせいだ。別種の生き物だ。語るだけではどうにもならん。それでも相通ずる価値観はある。カネだ。金額次第で隣人の不幸にも目を瞑るし、親の仇とも手を組む。人間も魔人も変わらん。人は理想よりも利害によって結ばれるものだ。共存共栄は目標ではない。結果だよ

〜中略〜

カネで解決できん信念というのは、往々にして妥協の余地がなく、譲りがたい負担を相手に強いる。協和の敵だ。故に戴天党はカネで動く。お互いの存在が利益になるから『共生』なのだ

堕天作戦 第4巻(Kindle版) 山本章一

上記に加え、僕が今作を凄い&新しいと思ったのは、「政治」をきちんと絡めた上で「宗教」にまで踏み込んだことです。ちなみに「政治と宗教」は「水と油」のような関係かと思われるかもしれませんが、実際は密接に絡み合っています。それは過去のキリスト教やイスラム教における宗教戦争や民衆支配でも分かりますよね。

別に不満があったわけではありませんが「進撃の巨人」は、あれだけ緻密に政治を描くのなら、どうしてそこに宗教が絡まないのだろうかと不思議に思っていました。これはやはり作者である諫山創さんが僕らと同じ無宗教の日本人だったからだと思います。

『アンダー = 天から堕ちた男』

主人公アンダーはその名の由来が「天から堕ちてきた男」とあります。まさに「天=神」が遣わした男、すなわち「聖人」です。彼は荒廃した世界を旅し、過酷な現実に翻弄されながらも、この世界がどうなっているのかを知ろうと探求します。

「放浪する聖人=英雄」は世界中の多くの神話に見られる構造であり、実は我が日本の建国神話「古事記」における、神武天皇から始まる物語もまた同じです。天を統べる女神、天照大神(アマテラスオオミカミ)は天皇の始祖となる神武天皇に「この国のことを識って(知って)おいで」と天から地上へ送り出し、その子孫が今へと連なります。

つまり天皇とはこの国を統治する存在ではなく、神が遣わした使者であり、「この国を識ろうとする」神の代理存在なのです。アンダーもまた同様に「この不思議な世界を識ろう(知ろう)」とする存在です。それは以下のシーンからも分かります。

堕天作戦 第1巻(Kindle版) 山本章一

しかし日本神話と異なり、今作における「神=超人機械」は多分にキリスト教的です。日本人の考える神と西洋人の考える神は決定的に違い、超人機械はその特質と人類への関わり方において、まさにキリスト教における「神」と同義の存在となっています。作者山本さんは間違いなく、西洋人の宗教観を理解している方だと思います。

ちなみに日本人はイエス・キリストが神だと勘違いしている人も多いですが違います。正確には彼は神が遣わした地上への使者です。その意味で今作の主人公アンダーは実にキリスト的であり、容姿もどこか似ていますよね。つまり山本さんは現代の新たな聖書のような物を描こうとしているんです。えげつないですよね〜。

アンダーは1巻の冒頭、「虚空処刑」で天へ昇り、そこで啓示を得た後、再び地上へ降りてきます。つまりアンダーは地に堕ちることで初めて「生」を得たのです。だからこそ以下の台詞です。

堕天作戦 第1巻(Kindle版) 山本章一

『神は人に語りかけない』

キリスト教における「神」とは姿を持たない、眩しく輝く光のような存在で、我々に対し、言葉を発することもありません。それ故に人間がその意思や御心(みこころ)を理解できない超絶的な存在となっています。

日本人の宗教観では地獄や天国があり、それらを通して『神とはすなわち、人を救う存在』です。しかしキリスト教はその本質において、神は人に一切干渉はしません。これは「神の沈黙」と呼ばれており、さらに『人は神の真意など絶対に理解できないとまで明文化されています

実はキリスト教の根底にあるのは一種の「絶望」なのです。イエス・キリストとはそんな「対話してくれない神」に対して、「どうか私たちに語りかけてください」と願う人類の願望が生み出した存在であったとも言えるでしょう。

多くの熱心なキリスト教信者は「沈黙」を続ける神に対して、実は神など存在しないのではないか? あるいはかつて存在したかもしれないが、もう消滅したのではないか? との疑念を抱きました。これは今作においての「超人機械」と同様です。

①なぜ超人機械はこの世界を創造したのか?
②なぜ竜や怪蟲などの、化け物を創ったのか?
③なぜ旧人類である人間に対し、新人類の魔人を創ったのか?
④なぜ魔人は魔法が使えるにもかかわらず、たった30年しか生きられないのか?
⑤そもそも神はなぜアンダーら「不使者」を創造したのか?
⑥「超人機械」はなぜ人類に対して、干渉するのを止めてしまったのか?
⑦「超人機械」はもう消滅してしまったのか?

いずれも答えは提示されません。「超人機械=神」は気まぐれであり、その真意は人知を超えているとされています。

今から300年以上前にね、先史科学文明が一線を越えたの。人類を凌ぐ人工の知性が出現したのよ。即ち超人機械。人知れず誕生して、気付いたときには、世界は既に『彼』の手の中。どこにいて、どんな姿をしていたのか、最後まで分からなかったけど、どこにでも現れて、どんな姿にもなることができたんだって。

〜中略〜

あんまり干渉してくることはなくて……、きっと人間なんか、どうでもよかったんじゃないのかな。

堕天作戦 第2巻(Kindle版) 山本章一

『堕天作戦が意味するもの』

それらを踏まえて、今作のタイトル「堕天作戦」が何を意味するのかを考えてみましょう。ちなみにこれに関しては作品中、アンダー同様の不死者ゾフィアが語る以下の言葉があります。

人知を超えて、唯一の高見に君臨するのに、もたらすものは妙ちきりんな奇蹟ばかり。当然不満を持つ人たちが出てくるし、霊長の座を取り戻そうって思うだろうし、たくさんの国家、組織、個人が、いろんな方法で超人機械に挑んだの!
天上の神の如きを、地に堕とす数々の手管—それら称して堕天作戦!!

堕天作戦 第2巻(Kindle版) 山本章一

つまり語りかけてくれない「神」に対して怒りを抱いた人類が「神」に戦いを挑む物語なのです。そしてここに宗教=神を創造した人類の持つ、根本的な悲しみがあります

人類が神を創造した? 逆でしょ、そう思うかもしれませんが、見方を変えれば違います。確かに人類の創造主は神かもしれませんが。同時に神を認識できる人類がいるからこそ、神もまた存在すると言えるからです。つまり「神は人類の創造物」でもあるのです。

神=創造主はいるはずである。なぜなら我ら人類が知性を持って、今この世界に立っているのだから。しかし世界は理不尽で残酷だ。なぜ神はこんな世界を創造し、こんな世界に我らを放ったのか? この理不尽に何の意味があるのか? せめてその答えが欲しい

しかし神は沈黙したままあり、それ故の「堕天作戦」なのです。そこには世界の根源を理解し、それをねじ伏せ、征服したいという強大な人間の欲望と同時に、我々を救って欲しいという「切実な祈り」が存在します。そしてこれを素晴らしく明文化した一節が、その1でも取りあげた村上春樹さんの小説内に、彼が心酔したドストエフスキーの言葉としてあります。

フョードル・ドストエフスキーは神に見捨てられた人々をこのうえなく優しく描き出しました。神を作り出した人間が、その神に見捨てられるという壮絶なパラドックスの中に、彼は人間存在の尊さを見いだしたのです

村上春樹 著(2000)「神の子どもたちはみな踊る」新潮社
上記に収められた「かえるくん、東京を救う」の中に抜粋した一文があります。

この「語りかけてくれない&救ってくれない神」の存在を構築できたからこそ、「キリスト教圏の人々=西洋人」は自分たちを神の意志が理解できない脆弱な存在として認識し、その謙虚さが根底にあるからこそ、この世界の実質的な支配者になれたのだと思います。

堕天作戦 =現代の聖書へ』

先にも述べたとおり、山本さんは現代の聖書とも言える作品を立ち上げている最中なのだと思います。現在は「神なき世界」とも言われていますが、人は根源的に「神=己を超えた力の存在」を欲しています。なぜなら世界はあまりに理不尽であり、その理不尽さに答えを提供してくれるのは神しかいないからです。なによりこの世に神=創造主たる父がいないのなら、人はあまりに孤独です……。

なぜ今作「堕天作戦」がWEB漫画としては異例のヒットを達成したのか? それは潜在的に欲する人は多いけれど、提供されている作品が少ないという事に他なりません。今の日本&世界において、その一つは宗教です。

ただしそれはエセな新興宗教などでなく、「生きるとは何か?」という人が持つ、根源的な問いに寄り添ってくれる、哲学的かつ知性的なものとしてです。言い換えれば今日求められているのは宗教と科学の融合、だからこそ今作は宗教的であると同時に、非常に緻密で科学的でもあります。

堕天作戦 第1巻(Kindle版) 山本章一

前に論じた「こちらあみ子」が絶賛された小説家、芥川賞作家でもある今村夏子さんも多分に宗教的な作品を描く方であり、現在の社会で熱狂的なファン(僕もその一人です)を生み出しています。20世紀が科学が宗教を駆逐した時代だったと仮定するならば、21世紀の今、その揺り戻しが来ているような気が個人的にはしています。

今後、アンダーは星へ辿り着けるのか? 不死の謎は解き明かされるのか? 超人機械とは如何なる存在で、何を考えているのか? 世界の未来はどうなるのか? 興味は尽きません。

まだ読んでいない方がいるのなら是非手に取って欲しい。圧倒的なエンターテイメントに宗教や哲学、政治が融合した現代の聖書「堕天作戦」—同時代に生きていて良かった、真にそう思える傑作でした。

最後に僕が大好きなシーンを引用して終わりとしましょう。天に浮かぶ星と、この世界の秘密に気づき、追い求めた夢を諦めた戴天党の将軍シャクターと、この世界の不思議を全て知りたいと願う、無垢なる知識欲の固まり、復活したレコベルの会話です。人間の素晴らしさと哀れが同居した実に素晴らしい屈指の名シーンです。

いきたいです! みたいからです! ほしがじゅかいだと、まほうができます! ふねにできます! もくせいも、どせいもみます! てんのかなた!

〜中略〜

はい! このよにうまれたので、どこまでいけるかためします!

〜中略〜

その子、ヘリオスと同じことを喋りよる。ダメだ、もう捨てねばならんのに、夢がこびり付いて拭えん……。

堕天作戦 第4巻(Kindle版) 山本章一
堕天作戦 第4巻(Kindle版) 山本章一
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