個人は世界を変えられるのか? 「進撃の巨人」で諫山創が描いたもの ─ その1

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『壮大な物語を【閉じるという偉業』

2021年6月に最終刊第34巻が発行され、10年以上の時を経て幕を閉じた「進撃の巨人」。昨今、大風呂敷を拡げすぎて、上手くまとまりや展開ができず、休載する漫画作品が多い中(個人的には「預言者ピッピ/地下沢 中也 著」や「俺と悪魔のブルース/平本アキラ 著」、あるいは作者である三浦建太郎さんの永眠で幕を閉じた「ベルセルク」など)でしっかりと「物語を閉じた」諫山創さんにまずは拍手を送りたい気持ちで一杯です。

おぞましいまでの大傑作なのに、なぜ書き続けてくれない?

己の生み出した「物語」が社会に浸透し、凄まじい熱狂と批評、さらに反論(アンチ)を生んでいく……。こんなものどうすればいいのか? おそらく国民的ヒットを飛ばした作家は多かれ少なかれ、そんな恐怖につきまとわれると思います。

しかし、どうあれ作者として「物語」を読者に提示したのなら、それがどんな形であれ、己の意思できちんと「閉じて」あげるのは「物語」作者の社会的義務だと思いますけれどそれは中々上手くいかないことが多いのは上の例でも挙げた通り……。実際、休載する漫画は非常に多くなっています。でも諫山さんはきっちりとやり遂げた。おそらく一度も休んでいないのではないでしょうか。まずはそれが凄い。

しかも己の分身とも言える幾多の「愛おしい」キャラクター達を物語の必要上とはいえ「殺し続けて」きた彼は精神的にボロボロに傷つき苦しんだと思います。なぜなら殺されたのは己の一部分であり、しかも己の奥底に眠っていた「最も大切な何か」だったのだから………。だからこそ、今はまず「お疲れ様でした」という言葉しかないですね。

諫山創(2021)「進撃の巨人」 第34巻 講談社

『進撃の巨人が描いたもの』

「進撃の巨人」をあえて一言で要約するとしたら、①「この世界とは何なのか?」を知りたいと希求した結果、②「この世界の欺瞞に気づき」、そうであるなら③「己が思う正しい世界へ変えたい」と夢見た、たった一人のテロリスト=主人公エレンの物語だと言えます。テロリストとは民主主義における多数決の原理に従わず『暴力』でもって、政治的目的を達成しようとする者のことを指します。つまりエレンは断じて正義の味方などではありません。非常に危険で社会から裁かれるべき人間です。

しかし世界はそんなに単純ではありません。過去の歴史を紐解いても「政治」の世界では「暴力」の行使に長けた者が、国や社会の実権を握ってきたのが実情であり、「政治」とは普段は懐に忍ばせ、抜くことのない「暴力」という刀をチラつかせることで強い実行力を持ちます。

一例としてアメリカが現在、世界の覇権を握っているのはその背景に世界一の軍隊を有しているからに他なりません。それだけでなく経済でもNo.1たる理由は「世界の基軸通貨ドルの発行国」だからであり、ドルが基軸通貨たる理由は「世界一の軍隊=世界一の暴力装置」というバックボーンがあることで、世界に対して「安心=服従できる理由」を提供できるからです。

今作が他の漫画作品と圧倒的に違うのが、この「現実」への徹底したこだわりです。これまでのエンターテイメントとは「現実からの逃避」を目指し、大量生産されてきました。いかに辛い現実を忘れられるかが最も求められたのです。けれど諫山さんはそれを180度ひっくり返した

大元の設定である「壁に囲われた世界」とは今の日本にまさに顕著な「現実」に蓋をして見ようとしない、我々の精神状況を象徴しています。一例を挙げるなら、人間は善なる存在だ。だから軍隊なんて必要ない、憲法九条があれば戦争なんて起こらないという、もちろんそうなれば良いのは認めますが、実際には世界の常識から大きくかけ離れた、戦後日本の虚構世界です。

諫山創(2010)「進撃の巨人」 第1巻 講談社

『喰らうというビッグアイデア』

「壁」に囲われた我々の精神という、メタファーを多分に込めた世界設定に加え、さらに秀逸なのが「巨人」というビッグアイデアを思いついたことしょう。これがあるからこそ、立体機動装置を用いた2次元でなく、3次元的でアクロバティックな戦闘シーンが可能となった。つまり他と比較して、アクション漫画としてひとつ上のレベルに立つことができた。けれでも今作における本質的なビッグアイデアはそれではありません。

ビッグアイデアとは僕が働いている広告業界では、当たり前の物事を「新しく、面白く」伝える発想のことだと言われますが、それはあくまで一部分を表現したものであり、正確に述べるなら「なぜこれが社会に存在すべきなのか 」を提示するものです。しかしほとんどの物事にそんな必然性はありません。だからこそ、それが存在する商品は広告を突き抜けて「圧倒的に強い」。

これを創作物に置き換えるなら、過去にも論じましたが「スターウォーズ」のライトセイバーや「ジョジョの奇妙な冒険」におけるスタンドなどが挙げられます。例えばライトセイバーにおける剣劇のないスターウォーズなんて、スターウォーズと言えるでしょうか?

それまでのSF作品と言えば、科学の発達した未来世界において、テクノロジーを駆使して戦うのが当たり前でした。けれどもそんな中、あえて剣で戦うというアナログなアイデアを持ち込んだからこそ、スターウォーズは他とは一線を画す、圧倒的な差別化を図ることが出来たのです。つまりライトセイバーこそが、SF作品としてスターウォーズが「存在すべき理由」なのです。

それではなぜ「進撃の巨人」はこの社会に存在すべき希有な作品なのか? それは「巨人が人を喰らう」ことを通じて、「人が人を喰らう」という当たり前の現実を可視化できたからに他ならないと考えます。「人を喰らう」とは一瞬ショッキングに思われるかもしれませんが、この資本主義社会の中、人は常に競争を強いられ、ひとつしかない椅子を他人を押しのけながら、皆で奪い合うような事態が多発しているのは皆さんもご理解いただけるでしょう

以下のシーンはとても分かりやすいですよね。結局、誰かが「脱落=喰われていく」ことで、僕たちは生き延び「次の社会的ステージ」へ進めるのです。

諫山創(2010)「進撃の巨人」 第1巻 講談社

人生とは基本的に「戦い」の連続であり、そこで勝った者は負けた者の「何か」を奪います。日本人は他の国の人々(現代社会においては特にアメリカ人や中国人)と比較して、この認識が甘いですがこれは現実世界の本質です。それを極限化して置き換えると「人が人を喰らう」という表現になるのです。

「進撃の巨人」ではこの「喰らう」という行為が戦闘を通してだけでなく、「能力の継承」時にも行われます。結局のところ、己の人生は他者の人生を奪うことで成り立っている。「食べる=他者の人生を奪う=全ての生物はそれで生きている」という現実をとても分かりやすく表しています。

諫山創(2015)「進撃の巨人」 第16巻 講談社

「世界の冷徹な現実=ルール」を諫山さんは社会にぶつけた。それを知ったアルミンやミカサは作中で呟きます。

「イヤ…違う…地獄になったんじゃない。今まで勘違いをしていただけだ。元からこの世界は地獄だ。強い者が弱い者を食らう、親切なぐらい分かりやすい世界……」

「そうだ……この世界は…残酷なんだ。今…生きていることが奇跡のように感じた…その瞬間、体の震えが止まった。その時から私は自分を完璧に支配できた」

諫山創(2010)「進撃の巨人」 第2巻 講談社

この非情な認識こそが、生きている尊さや、生きていること自体が実は奇跡にも等しいことなのだと各キャラクター達に実感させ、彼らは弱肉強食の世界を生き抜くことを決意します。

諫山さんが今作で描こうとした正義や悪を越えたところにある「この世の真実を知りたい、それを読者に突きつけてやりたい」を実行するには、まず現在、僕らの社会(壁の中の世界)で隠蔽されている「世界の残酷さ」を実感させなければならない。その意思こそが「進撃の巨人」全編を通じて何度も繰り返される以下の言葉なのでしょう。

「 勝てなきゃ死ぬ。勝てば生きる。戦わなければ勝てない。戦え! 戦え!」

その2へ続く

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