政治×宗教×エンターテイメント=漫画による魂の総合小説「堕天作戦」が物凄い!— その1

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『個人的には、歴代最高クラスの漫画です』

はぁ〜幸せ〜っ。現在発売されている「堕天作戦」全6巻を数時間で一気読みした後、至福のため息が漏れました。と同時に作者である山本章一さんに対して、あんたさ、何喰って、どう生きてれば、こんなぶっ飛んだ作品(モノ)が描けるんだよ? 心の底からそう思いました。何はともあれ、とんでもないモノに遭遇してしまった。生きてて良かったぁ〜、そんな感じです。

本ブログではこれまで様々な作品を論じてきましたが、今回はまだ作品自体が完結していないので、全体像が分かりません。なので以降の文章は一人でも多くの方々にこの素晴らしい作品に触れて欲しい、そんな僕からのファンレターのようなものです。

『独創的、かつリアルな世界観』

まず凄いのが世界観です。舞台は荒廃した(核戦争後?)未来らしき地球であり、汚染された大地に蠢く奇形化&巨大化した化け物である怪蟲(かいこ)がアフリカを、竜がアメリカを支配しているという設定となっています。生き残った旧人=人類は、新人類である魔人(まじん)という「魔法」を操る、別の生物種と汚染されずに残った土地を巡って戦争を繰り返しています。そしてその世界を創造した神として「超人機械」という不可思議な存在が崇め奉られているのです。

科学に立脚した人類に対し、魔人は当然ながら魔法で戦いを挑んできます。その様な世界の中、「超人機械」の力=奇蹟によって創られたとされる主人公アンダーは有史以来わずか15人目の不死者として、世界を旅し、否が応にも人類と魔人の争いに巻き込まれていきます。

ここで絶妙な設定だと唸ったのが「腐鉄菌」です。これは文字通り、鉄及び金属類を錆びさせてしまう菌のことであり、これが世界中にばらまかれた為、当初は科学兵器で戦争を優位に進めていた人類の力は後退し、それにより中世的な白兵戦が主力となることで、アクション漫画としてのダイナミズムを生み出しています。

これって「機動戦士ガンダム」におけるミノフスキー粒子と同じです。ガンダムの世界ではミノフスキー粒子のせいでレーダーが効かず、その結果、目視による近接戦闘が行われるという設定でした。この辺りも作者の山本さんは本当に上手いですね。

本作はジャンル分けをするなら「ダークファンタジー」の部類に入ると思うのですが、凡百のそれと決定的に異なるのは、過去に解説した「進撃の巨人」のように、今の現実社会に立脚した、リアルな視点を有してしているという点です。

一例を挙げるのなら人類と魔人は戦争を行っていますが、戦っているはずの双方が「金(カネ)」という利益の元に手を組んだ、国家的な犯罪&宗教組織である「戴天党(たいてんとう)」や、人類でありながら高い技術力を戦争の兵器として、人類にも魔人にも売りさばく「メイミョー技研団」などがあります。

これらはアルカイダやアメリカの軍産複合体をイメージさせますよね。また現在の世界でも頻繁に行われているプロパカンダによる歴史の改変や、通貨操作による経済攻撃など多種多彩です。

堕天作戦 第1巻(Kindle版) 山本章一

『緻密な群像劇作品=総合小説たる骨太さ』

世界観はもちろんのこと、その中で蠢く国家や組織、それらに操られる個人のもろさや醜さ、そして尊さ、これらが渾然一体となってダークファンタジーたる法や倫理を飛び越えた魑魅魍魎の地獄絵図の中、まるで泥の中に咲く、一輪の蓮の花のように燦然と輝くのです。

タイトルにも上げた総合小説とは一人称視点による、一人の主人公を中心にストーリーが進展する物語とは異なり、様々な人物がそれぞれの物語を持ち寄り、それが複合的に絡み合い、大きな物語が生まれ、読者はそれを目撃する、というものです

本作のメインキャラクター、不死者アンダーは主人公と言うより、狂言回し的役割が強く、彼が世界を放浪する上で巡り逢う、様々なキャラクター達が織りなす物語の集積こそが真の主人公であると言えるでしょう。

ちなみに総合小説を描くには物語の構築力等、多大なる作者の力量が必要とされます。最新作「街とその不確かな壁」では異なりましたが、今や世界的作家となった村上春樹さんがずっと描きたいと追い求め続けた理想の小説形態であり、その最高峰として彼は世界的文学者ドストエフスキーを挙げています。

漫画の世界でこれを成し遂げたのは僕が知る限り、たった2人です。まず1人目はアニメーション作家の宮崎駿さん、作品は漫画として描かれた「風の谷のナウシカ」です。2人目は「進撃の巨人」を描いた諫山創さん。そして今作の山本章一さんはそれに連なる3人目となるでしょう。

ちなみに後で述べますが、山本さんはもしかしたらドストエフスキーに影響を受けているのではないか? と思ったりもしています。それは今作に通底する極めて高い「宗教性」のせいです

『圧倒的な読みやすさ』

広くこの作品をみんなに薦めたいと思う理由の一つが圧倒的な可読性=読みやすさです。独自の世界観や国家同士の相関関係、多数のキャラクターの人物背景など、通常なら読み進める度に頭の中がこんがらがって、前後のページを行ったり来たり繰り返すのが普通ですが、僕は全6巻を数時間で一気に読むことができました。

とにかくどうして? と思うぐらい読みやすい。その理由の一つは今作がWEB連載だったことが挙げられると思います。横開きの漫画誌連載と異なり、スマホ読書を前提とするWEB連載ではいわゆる「コマ割り」が大きく異なります

通常の漫画に見られる左右両ページぶち抜きの絵などなく、上から下へ、基本的に水平&垂直ラインで構成された、ある意味「単調」なコマ割りとなります。しかし同時にそのような制約が一定のリズムを生み出し、「読みやすさ」となってプラスに働いている。そして何より作者である山本さんがそれを意識的に活かしている。

WEB連載ならではの縦軸展開を活かしきった好例が、1巻最初にある気球に縛り付けられた主人公らが成層圏に向けて打ち上げられる「虚空処刑」です。地上(生)から宇宙(死)へと向かった上下移動はまさにWEB(スマホ)による縦スクロールと相性バッチリです。

堕天作戦 第1巻(Kindle版) 山本章一

それも相まって見事なコマ割りがなされ、やがて彼らは成層圏へ辿り着き、「あるモノ」を目にし、それは作品全体に通底する極めて重要なテーマとなる。多くのファンもそうだと思いますが、僕もいきなり冒頭のココで心臓を鷲掴みにされました。もう天才的! そう思っちゃいますね。

さらに山本さんの作家としての力量です。とにかく今作はいわゆる「説明文」が少ないんです。ストーリー進行に合わせて、物語と一緒にキャラクターや状況背景が自然と無理のない情報量で小出しに提示され、それ故にスッと頭に入ってくる。おそらく山本さんはかなり映画好きな方だと推察します。

なぜなら、映画には1時間半ほどの短い上演時間の中で「分かりやすい」=「人気になる」=「売り上げを確保する」が至上命題のハリウッド脚本術を通して培われた、膨大なバックボーンがあるからです。

映画との関連で考えると、縦スクロールの単調さを回避する、カメラワークも素晴らしいです。カットの切り方やカメラの置き位置など相当研究しているんだろうなぁと思います。

ぶっちゃけ、ずっと漫画を読んできて、漫画が大好きで漫画家になったと言うより、小説や映画、宗教に哲学など様々なものに手を出した結果、その蓄積を最もアウトプットしやすい媒体が漫画であった、そんなタイプの作家さんだろうと推察しています。「良い意味で漫画に対する愛を感じない」んですよね

また個人的に強く惹かれたのがキャラクター達の熱量と鮮度です。これがあるから自然と前のめりに作品に引き込まれてしまう。

通常これだけ練り込まれた複雑な物語の作品だと、どうしても各キャラクターがストーリーの線路に沿って配置され、無理矢理台詞を言わされたり、行動しているなぁと感じることが多々あるんですが、今作では皆ピチピチとして自発的、それぞれが意思を持って勝手に作品世界を歩き回っているように感じるんですよね。

堕天作戦 第1巻(Kindle版) 山本章一

これに関しては作者である山本さんも以下のインタビューで述べています。残された隙間があるお陰で、作品を描き進める中、出てきたアイデアを瞬時に投影しやすく、それが強烈な「ドライブ」を生み出しているのでしょう。

ラストについては、おおむね決めていますが、その過程次第で、やはりいろいろ変わると思います。辻褄が合うように、合わないときは何とか上手く誤魔化せるようにと必死です。この辺の言い訳で時間がかかっているのかもしれません(笑)。深い設定は誤魔化すときの大敵になるので、なるべく融通が利くように考えています。話に応じて設定を加えたり、逆に設定上の制約から話を作ったりもします。

pixivision 絶版状態だった『堕天作戦』が大躍進! 逆転劇の裏側とは

加えて、今作のシリアスなシーンの間に挟まれる独自のユーモアもいいですよね。弛緩剤となって上手く作品内の「リズム」をコントロールしている。難しい話が続くと、軽くギャグシーンを入れて、間合いを調整する。その緩急の巧みさもまた読みやすさの大きな一因だと思います。

WEB連載というのは競争相手が今をときめくTikTokやYouTubeです。それらとの「時間の奪い合い」に勝たなければならない。「堕天作戦」はそのバトルを勝ち抜いた希有な勝者なのです。

その2へ続く

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