『アメリカを象徴するものたち』
それではヨーロッパに続いて、新世界=現在の世界を統べるアメリカを象徴したキャラクターたちをご紹介していきましょう。
★ジョニィ・ジョースター
彼は馬乗りです。車や鉄道のない当時、馬の存在なくして広大なアメリカ大陸を移動するのは不可能であり、ましてや西部開拓などあり得ませんでした。つまりジョニィとはアメリカ開拓史そのもののメタファーなのです。彼が当初、下半身不随で両足が使えないことは象徴的です。これは彼=アメリカが両足で「立つ」、つまり自立するまでの物語。
下の引用文の中のジョニィをアメリカに、ジャイロをヨーロッパと置き換えて読むと、荒木さんが「スティール・ボール・ラン」で描こうとしたものが何なのか良く分かります。
この『物語』は、ぼくが歩き出す物語だ。肉体が……という意味ではなく、青春から大人と言う意味で……。僕の名前は『ジョニィ・ジョースター』
荒木飛呂彦(2017)「STEEL BALL RUN ジョジョの奇妙な冒険 Part7」第1巻 集英社文庫
最初から最後まで本当に謎が多い男『ジャイロ・ツェペリ』と出会ったことで……。
馬に助けられながら西から東へ、開拓の歴史を逆トレースする間に彼はアメリカ人として成長していきます。その4で述べたようにヨーロッパ人であるジャイロが「漆黒の意思」を有していないのとは対照的に、アメリカ人ジョニィは当然のこととして、初めからこの意思を持っていますし、「飢えること」の意味も知っています。
面白いのは一連のストーリーの中でジョニィはジャイロに「アメリカ=弱肉強食の世界の理(ことわり)」を教える教師のような存在であるのですが、先に書いたその5にあるようにジャイロもまた、ジョニィに「ヨーロッパで受け継がれてきた知識=5つのレッスン」を施す教師であるということです。これはアメリカが自立していく過程でヨーロッパが蓄積した知識や文化を必要としたことを表しているのでしょう。つまりヨーロッパはアメリカの父なのです。
★サンドマン
彼はその3で説明したように、インディアンの大虐殺というアメリカ開拓史の負の側面を象徴する存在です。そこで彼は民族自立のために敵であるアメリカ人(白人)から様々なことを学ぼうとします。しかし、そこで彼が重要視したのは「カネ=資本主義」だった。その悲劇が結局、彼の魂を食い潰します。「カネ」を求めた彼は「カネ」に溺れ、命を落としました……。
祖先からの土地を買う。我が部族がこの時代の変化に勝つには「金」がいるんだ……。おまえらの事を気の毒とは思うが、悪いとは思わない。お前らが決めた価値の基本─「金」という概念だからな。
荒木飛呂彦(2017)「STEEL BALL RUN ジョジョの奇妙な冒険 Part7」第8巻 集英社文庫
★マウンテン・ティム
彼はストーリー上、それほど重要なキャラクターではないかもしれません。それでもここで敢えて取り上げたいのは、彼が死の間際に述べた次の様なセリフがあるからです。
ベッドの上で死ぬなんて期待してなかったさ。オレはカウボーイだからな。帰る所が欲しかっただけさ……旅に出たら帰る場所がな……。
荒木飛呂彦(2017)「STEEL BALL RUN ジョジョの奇妙な冒険 Part7」第6巻 集英社文庫
僕は元々は通常のジャンプコミックス版で本シリーズを持っていたのですが、集英社文庫から文庫版が出た際に全巻買い換えてしまいました。なので今はもう手元にないので詳細は分からないのですが、コミックス版は表紙の裏、表2と呼ばれる箇所に毎回、荒木さんのコメント欄があったんです。そこを読んだ際、ある巻でうーんと唸ったことがありました。荒木さんは上にあるティムの言葉を言い換えて、このようなことを述べてたんです。
「僕はずっとこの話を描いてきて、気づいたことがあります。それは、どのキャラクターたちもみんな『家』に帰りたがっている、ということなんです」
これを読んだ時はちょっとブルッとしました。何故ならこれって全ての『アメリカ文学』に通底する精神ではないだろうかと思ったからです。アメリカ人、もっと厳密に規定するなら「アメリカの男たち」は人生において「戦う」ことを求められた種族です。そしてもうひとつ、ヨーロッパ脱出→西部開拓という民族の歴史をなぞるように、彼らは等しく「家」から出て行かなければならない。
「家」を出て、外の世界で「戦い」、何かを「勝ち取り」、その結果として「己を成す」ことが求められている。この「男の物語」は日本にも蔓延し、それに適応できない男性(僕もです)を苦しめています。でも、適応できる男だって苦しんでいる。いつだって自分を産み、育て、慈しんでくれた「母=家」に帰りたいと潜在的には思っている。
それを象徴的に表したのが「帰る所が欲しかっただけさ……旅に出たら帰る場所がな……」ティムが最後に呟いた、この言葉なのです。荒木さんは「スティール・ボール・ラン」を描き続ける中で、概念だけでなく、精神性の深い部分においても「アメリカを理解した」のだと思います。でなければ、このセリフは書けない。おそらく何百万人ものアメリカの男たちはこう呟き、荒野で死んでいったのでしょう。
★ファニー・ヴァレンタイン
彼はジョニィとは別の側面でアメリカを象徴する存在です。そのひとつ目が「愛国心」─アメリカ人は西部開拓で未知の世界を切り拓き、「国土=新たな祖国」を手に入れました。そして旧世界で自分たちを苦しめたヨーロッパ人と戦い、勝つことでそれを守り抜いた。
アメリカの国歌はこの独立のための米英戦争、その1シーンをモチーフとしています。砦を守るため、一晩中続いた激戦の後、朝焼けの空にはためく星条旗を見上げた時の兵士らの感動を歌にしています。かなりの意訳ですがご覧ください。
夜明けの薄明かりの中、あなたには見えるだろうか?
夕暮れ時に我々が夜を徹して、護り抜くと誓い合ったものを。
城壁の上にひるがえる星条旗を。
砲弾が炸裂する激戦の中、我らの旗は夜通しそこにあった。
あぁ、見ておくれ。
星条旗はまだ、ひるがえっているか?
我々の故郷、この自由の大地の上に……。
この歌にあるように「愛国心」とは素晴らしい精神です。それは長い間、アメリカが世界一の国家であり続けるための礎となった。なぜならこれは建国の歴史という「神話」に裏打ちされているからです。強き建国神話を有する国は強い。
これは人間に置き換えれば分かります。戦い、勝ち取ってきた人は自分に自信を持ち、困難な事にもどんどんチャレンジしていく。一方、負け続け、奪われ続けてきた人は卑屈に生きていかざるを得ない。
つまり「スティール・ボール・ラン」が描いてきたアメリカ建国の歴史=神話こそが、現在まで続く、アメリカという国家の強さの最大の源泉であるということです。
そこには「正義」という、圧倒的に正しい価値観に裏打ちされた強さがあります。しかしそれは同時に「正義」の名の元に、殺人さえ許されるという大義名分にもなり得る。実際、ヴァレンタインはそのようなキャラクターでした。
そしてもう一つ、彼がアメリカを象徴しているもの、それはアメリカが世界中に広めた「資本主義」です。僕はアメリカの民主主義の根本が「平等に戦う権利」であると書きました。しかし歴史的に見て、アメリカの推進した民主主義が行ったこととはヨーロッパの王族や貴族など、一部の特権階級が持っていた富を一度、彼らから「収奪」し、競争で勝った者へ「再分配」することに他なりませんでした。
アメリカは日本と比べ、とんでもなく貧富の差が大きく、それは容易には埋まりません。つまり歴史的に見て、アメリカは新たなる王族や貴族を作ったのです。その「収奪」において最も重要なことは「フロンティア」へ一番乗りし、その権利を確保することでした。
アメリカ人の進取の精神は素晴らしいですが、このような利己的な側面もあるのです。これを荒木さんはファニー・ヴァレンタインの口からこのように語らせています。屈指の名シーンです。
君はこのテーブルに座った時、ナプキンが目の前にあるが、君はどちら側のナプキンを手に取る? 向かって「左」か? 「右」か?
〜中略〜
それも「正解」だ。だがこの「社会」においては違う。「宇宙」においてもと言い換えていいだろう。正解は『最初に取った者』に従う…だ。誰かが最初に右のナプキンを取ったら、全員が「右」を取らざるを得ない。もし左なら全員が左側のナプキンだ。そうせざるを得ない。これが「社会」だ……。土地の値段は一体誰が最初に決めている?
〜中略〜
民主主義だからみんなで決めているか? それとも自由競争か?
違うッ!! ナプキンを取れる者が決めている!
荒木飛呂彦(2017)「STEEL BALL RUN ジョジョの奇妙な冒険 Part7」第11巻 集英社文庫
荒木さん凄い! ウットリしてしまいました。民主主義の底に潜む、民主主義自体を食い潰す、資本主義の危険性をこんな形で表現するなんて……。そして彼のスタンド「Dirty deeds done dirt cheap=いともたやすく行われるえげつない行為」の最終形こそが、資本主義の実像を的確に表現しています。これは後に述べましょう。
★ルーシー・スティール
彼女はいわゆる処女懐胎でもって、聖なる遺体を再創造します。つまりアメリカという国家における聖母マリアです。なぜ、彼女が選ばれたのか? いきなりですが物語終盤部、ディオと彼女の会話をご覧ください。
何しに来た?
荒木飛呂彦(2018)「STEEL BALL RUN ジョジョの奇妙な冒険 Part7」第16巻 集英社文庫
し…幸せになるために…、あたしは「幸せ」になるために大陸を渡り…ここへ来た!
彼女はこれまで語ってきた幾多の男たちのように、小難しい「理念」を述べません。ただ一個人として「幸せ」になりたい。人として当たり前のことを口にします。荒木さんは彼女を通してこう語っているのではないでしょうか。
『アメリカを創造したのはこの「当たり前」の精神であったのではないか?』
幸せになりたい、人として当然の「幸福の実現を求める心」こそがアメリカを作った。だからこそ、こうあって欲しいという「願い」も込めて、彼女をアメリカの「母」としたのでしょう。
その7へ続く