「スティール・ボール・ラン」以降の「ジョジョ」の劇的な進化 ─ その3

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『スタンドの変化』

青年誌にステージを移して始まった新シリーズですが、これまでとの大きな違いとして、スタンドの能力の変化とそれに伴うビジュアルの変遷が挙げられます。これまでのスタンドは言うなれば能力を擬人化させたもので「人型であるのが基本」であり、かつ重要でした。

要は「機動戦士ガンダム」におけるモビルスーツです。人がそれを操り、人の代わりとなってダイナミックに戦う。まさにスタンドとはロボットのような存在だった訳です。

しかし「スティール・ボール・ラン」においてそれは変わりました。前面に立って戦うのはあくまで人間であり、スタンドは補助的な役割です。だからこそ人型でないものが多く、ビジュアル的に特に格好良くもなければ、そもそもほとんど姿を現さない。つまり第3部行以降からずっと続いたスタンド中心だった戦いが「人間中心」へと戻ったのです

荒木飛呂彦(2017)「STEEL BALL RUN
ジョジョの奇妙な冒険 Part7」第3巻 集英社文庫

それに加えて、荒木さん最大のチャレンジが第4部「ダイヤモンドは砕けない」から第7部「ストーンオーシャン」に至るまで繰り広げられた、人間とは何か? 悪とは何か? の追求から、さらにもう一歩踏み込んで、これまでの人類の歩み、すなわち「歴史」を作品に組み入れるということでした。そこで取り上げられたのが近代史以降における最も強大な民主主義国家、アメリカです

『アメリカ史における1890年とは?』

「スティール・ボール・ラン」は一見、アメリカ西部劇に見えますが違います。設定では1890年が舞台です。「GO WEST!=ゴールド・ラッシュ」に湧いた、西部へ夢を求めることができた時代は既に過去のものとなり、南北戦争も終結しています。この1890年という数字はいい加減に決めたものでなく、荒木さんはここが物語のスタート地点でなければならない、そう明確に意図していたと思います。

なぜなら1890年はアメリカ国勢調査において、人口密度による入植地の境界がもはや無いことが発表された年であり、加えてインディアン・スー族に対する「ウーンデッド・ニーの虐殺」が行われ、その結果、政府はインディアンの掃討が完了したと発表します。これにより全ての土地はアメリカ人のものとなり、開拓は終了。つまり「フロンティアは消滅」しました

偉大な歴史家フレデリック・ターナーも、1890年の国勢調査の結果がフロンティアの消滅を告げていると発表しています。つまりは言い換えれば、1890年、ここが現代アメリカの出発地点なのです。

「スティール・ボール・ラン」の特徴は主人公ひとりだけにスポットを当て、彼の視点で物語を進行させていくこれまでのスタイルではなく、登場人物一人一人にスポットを当て、それぞれの視点に立って、ドラマを進行させていく群像劇の手法が採られていることです。これも青年誌だからこそできたことでしょう。

具体的に見ていくと、まず物語はインディアンである「サンドマン(砂男)」の視点から始まります。なぜ、彼からスタートするのか? これは先に書いたとおり「インディアン掃討の完了=フロンティアの消滅=現代アメリカの出発地点」であり、だからこそ、まず彼から物語は始まらなければならない。

それは「歴史」に対する荒木さんの敬意でもあります。では、なぜ彼は数ある国の歴史の中から、あえて「アメリカの歴史」を紐解こうとしたのでしょうか? その答えが冒頭部、サンドマンの口を通して語られます。

荒木飛呂彦(2017)「STEEL BALL RUN
ジョジョの奇妙な冒険 Part7」第1巻 集英社文庫

違う、それは見解の相違ってやつだ、お姉ちゃん。白人は「敵」だ。だが……敵から身を守るには「敵」の文化をよく知らなくちゃあ、ならないって考え方だってあるんだ。部族のみんなの考え方は、もうこの時代では通用しない。みんなは自分たちが祖先の土地から追いつめられているっていうけれど、白人の基本概念は「カネ」だ。もう、祖先の土地なんてないんだ。この場所はカネを持ってるヤツの土地なんだ。

〜中略〜

お姉ちゃん……さよならを言いたいんだ……オレはもう村には戻らない……旅へ出る。

荒木飛呂彦(2017)「STEEL BALL RUN ジョジョの奇妙な冒険 Part7」第1巻 集英社文庫

『世界の王=アメリカはどうやって産まれたのか?』

現代社会において、アメリカは実質的な世界の支配者であり、我が日本も太平洋戦争の敗戦とその後の占領を経て、戦力保持が認められない現行の日本国憲法と、日米安全保障条約によって、今でも彼らに実効支配されているのが実状です。また占領と同時に資本主義を注入され、その結果、日本人は宗教の代わりに、サンドマンの言う「カネ」を崇める国民となりました。

もしアメリカに逆らえば潰されます。例を挙げると1980年代にGDP世界第2位となった日本はジャパン・バッシングによって、徹底的に叩かれました。なんと100%の報復関税まであったんですよ。そしてバブルの崩壊で日本の脅威的な経済繁栄は終わりを告げます。

でも、これに対し、僕個人は特に文句を言う気はありません。国際間における政治、そして経済とは武器を使わない戦争であり、お互いの力関係を理解した上で、有効にその「力」を行使したものが勝つのは必然です。

80年代の日本企業はそれに対し、あまりに無自覚でした。手を出していいものといけないものがある。三菱地所がロックフェラー・センターを買収した時、「日本の奴らはアメリカの魂を買った」そう言われました。これは明らかにまずかった、そう思います。

『現在は姿を変えた戦争時代である』

そして2019年現在、アメリカは中国を「敵」と定め、貿易戦争を仕掛けています。これをドナルド・トランプ個人の暴走だと捉えている人も多いみたいですが全く違います。共和党、民主党、アメリカ全体が一丸となって中国を叩きに出ているのです。

これは世界の覇権を争う「戦争」です。核兵器の発明によって大国間の武力衝突は影を潜めましたが、代わりに経済報復や産業スパイ、プロバカンダ工作にメディアによる情報操作など、戦いの場は次なるステージへと移されました。そんな訳で僕らは既に戦争時代の真っ只中にいるんです。

「スティール・ボール・ラン」の連載が開始されたのは2004年です。2001年にはあのアメリカ同時多発テロ、すなわち9.11が起こり、前年の2003年にはそれに対する報復として、イラク戦争が始まっています。

そんな中、少年誌から青年誌へと舞台を移した荒木さんはアメリカに対し、良い or 悪い、の判断を下すのではなく、この世界を支配しようとする「力」と「精神」は、どのような「歴史」を経て形成されたのか? その結果、どのような形となって、今の世界(もちろん現在の日本も含みます)に影響を及ぼしているのか? を解き明かそう、そう決意したのだと確信します。「スティール・ボール・ラン」とはそんな壮大なる一大叙事詩の幕開けなのです。

『スティール・ボール・ラン=アメリカ独立の歴史』

なぜ、荒木さんはこの物語を西海岸からスタートさせ、東海岸、現在アメリカの首都であるニューヨークをゴールとしたのでしょう? それは東から西への開拓の歴史だったアメリカ近代史を反転し、なぞらえることでアメリカという国家が何をもって成立したのかを明らかにしようとしたからに他なりません

実際、先に挙げた歴史家フレデリック・ターナーは「アメリカの歴史の特質は東部から始まった西部フロンティア拡大に伴って、『民主主義』が発達したことにある」と主張しました。厳しいフロンティアを生き抜く上で育まれた個人主義が、結果として民主主義を促進し、粗野ではあるが、たくましく自由な精神が育まれたとしています。これがフロンティア・スピリットと呼ばれるものであり、アメリカ人が現在まで抱き続けている、彼らの「魂」の根幹を成すものです。

荒木さんは確実にこのターナーの学説を念頭に「スティール・ボール・ラン」を書いたはずです。そうでなければ1890年を開始点になど設定できない。それほど「1890年=フロンティアの消滅=ターナーの学説」はアメリカにとって大きいものです。

荒木さんはこの「東から西へ」の動きを「西から東へ」と逆回転させていく中、アメリカがフロンティアで培った幾つかの精神的特徴を何人かのキャラクターに託して表現していきます。これは後で述べましょう。

荒木飛呂彦(2017)「STEEL BALL RUN
ジョジョの奇妙な冒険 Part7」第4巻 集英社文庫

そんな中、物語が進むと明らかになってくる、このレースのもう一つの意味。それは大陸各地に散らばる、かつてヨーロッパから渡ってきたとされる聖なる遺体を集め、その遺体の力によってアメリカを千年王国たらしめようとする大統領ファニー・ヴァレンタインの野望でした。

つまりこれは形を変えた「アメリカによるヨーロッパからの独立戦争」です。だからこそレースの間ずっと、アメリカ人とヨーロッパ人が入り乱れ、遺体を奪い合うのです。

つまり荒木さんは「アメリカにおける民主主義の成立」と「ヨーロッパからの独立」、この2つの大きな歩みを「スティール・ボール・ラン」に集約させたのです

その4へ続く

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