「スティール・ボール・ラン」以降の「ジョジョ」の劇的な進化 ─ その4

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『アメリカ人の魂 (たましい) とは?』

アメリカの民主主義がどうやって成立したのか? 僕はその3において、歴史家フレデリック・ターナーの「アメリカの歴史の特質は東部から始まった西部フロンティア拡大に伴って、『民主主義』が発達したことにある」という主張を取り上げ、荒木さんはそれを元にこの「スティール・ボール・ラン」を描いたのではないかと書きました。

実際、物語内ではそれらを象徴するキャラクターやシーンが出てきますので引用し、紐解いていきましょう。まずはアメリカ人であるジョニィ・ジョースターがヨーロッパ人であるジャイロ・ツェペリに対して語る、一連の重要なセリフです。これがアメリカ人とヨーロッパ人の会話だということに着目して読んでください。

君は国家や親たちから教えられ、受け継いだ「技術」と「精神力」でこのレースに参加している。そして自分が死刑にしなければならない無実の少年を救わなければという、追い詰められた状況もわかる。でも、それらは全て、君が誰かから『受け継いだ事柄だ。

君は『受け継いだ人間』だ!

だが、それに対してDioは違う!あいつは馬術も地位も食べ物さえも奪い取って生きて来た。Dioは生まれた時から運命までも『奪い取って』来た人間!

Dioは『飢えた者』!

君は『受け継いだ者』!

どっちが「良い」とか「悪い」とか言ってるんじゃない! その差が、この大陸レースという、きれい事がいっさい通用しない追いつめられた最後の一瞬に出る! その差は君の勝利を奪い、君を食い潰すぞッ!

荒木飛呂彦(2017)「STEEL BALL RUN ジョジョの奇妙な冒険 Part7」第5巻 集英社文庫

ここに荒木さんの考える『アメリカ人』と『ヨーロッパ人』の違いが明確に示されています。アメリカ人とは、ヨーロッパ社会の中で底辺に位置し、そこでの苦しい生活から逃れる為、大西洋を渡ってきた人たちが大半を占めています。一例として南北で貧富差の大きいイタリアからは貧困に喘ぐ南部シチリアやナポリの人たち、彼らは後にマフィアにもなりました。大飢餓で困窮していたアイルランドからは年間なんと100万単位もの人が移住してきます。

荒木飛呂彦(2017)「STEEL BALL RUN
ジョジョの奇妙な冒険 Part7」第1巻 集英社文庫

ちなみにDioはまさにイギリスにおける最下層の貧困家庭出身であったことがエピソードで描かれていますよね。身分社会の軋轢の中で母を亡くし、その復讐のため、このレースで勝利を掴み、権力を手にすることを目論んでいます。つまりDioはここで「勝利」を得ない限り、先がない。

これは着の身着のまま、持てる限りの全財産を手に、故郷を捨て、海を渡ってきた全てのアメリカ人たちと同じです。そこがヨーロッパ人、わけてもジャイロのような体制側に組み込まれた裕福な人間との決定的な違い=『飢えた』者なのです。彼らは故郷という拠り所を捨ててまで、何とか新たな人生をつかもうとしています。だからこそジョニィはジャイロに言うのです。

「飢えなきゃ」勝てない。ただしあんなDioなんかより、ずっとずっともっと気高く「飢え」なくては!

荒木飛呂彦(2017)「STEEL BALL RUN ジョジョの奇妙な冒険 Part7」第5巻 集英社文庫

『漆黒の意思、そして男の道』

このような厳しい生存競争、すなわち世界は弱肉強食であり、自分の命は自分で守るもの。この冷徹なまでの徹底した個人主義が、同時にアメリカの民主主義を育む礎になったとターナーは書いています。どうして? 民主主義とは自己の権利を大切にするのはもちろんのこと、他者の権利も大切にします。

上で書いた、生きるか死ぬかの生存競争にさらされた者たちがどうして他者の権利を大事にするのでしょう? これを理解することこそがターナーの語るアメリカ固有の『西部フロンティア拡大に伴って発達した民主主義』を知ることに繋がります。

シリーズ中屈指のエピソード、リンゴォ・ロードアゲイン編はこちらに収録

この一見、相反する事象を紐解いていく上で重要なキャラクターがリンゴォ・ロードアゲインです。彼は公正なる「果たし合い」こそが個人を高める「道」だとして、ヨーロッパ人=ジャイロに決闘を挑んできます。戦い自体は過酷なアメリカ西部を生き抜く上で必要であることは理解できます。しかしここでリンゴォはその戦いに「公正さ」を求めるのです。

なぜなのか? これがヨーロッパ人であるジャイロには理解できず、苦戦を強いられます。さらにリンゴォはジャイロに対し、君では俺に勝てないと断言する。実は彼の言葉はジョニィの言う「飢えた者」と「受け継いだ者」の違いを別の角度から述べているに他なりません。リンゴォは「受け継いだ者=ジャイロ」が「漆黒の意思=殺意」を持っていないことを問題にします。

左の彼にはいざという時、オレを殺しにかかる『漆黒の意思』が心の中にある。だが君はそうではない…そういう『性(さが)』。

だから下がれ、それが理由だ。君はオレが攻撃したらそれに『対応』しようとしている。それが心体にこびりついている。『才能』ではすぐれたものがあるのかもしれないが、こびりついた『正統なる防衛』ではオレを殺す事は決して出来ない。受け身の『対応者』はここでは必要なし

荒木飛呂彦(2017)「STEEL BALL RUN ジョジョの奇妙な冒険 Part7」第6巻 集英社文庫

『覚悟なき対応者は、アメリカでは生き残れない』

ジャイロは相手を殺そうとは思っていません。あくまで正当防衛という理由を盾に反撃を行うのみです。しかしリンゴォはそれではこのアメリカを生き抜けない。そう宣言します。世界は常に弱肉強食であり、そこで生き残るには相手を「倒す=殺す」しかない時だってある。

これは明確な真理です。現代であっても結局のところ、人は誰かと競争し、相手を蹴落とさなければ上にはいけないのですから。だったら覚悟を決めて正々堂々と戦え。

これが「男の世界」…………反社会的と言いたいか? 今の時代、価値観が『甘ったれた方向』へ、変わって来てはいるようだがな…

荒木飛呂彦(2017)「STEEL BALL RUN ジョジョの奇妙な冒険 Part7」第6巻 集英社文庫

「戦い」によってしか勝ち取れないものがある。それをアメリカ人は過酷な西部開拓によって明確に理解し、血肉化することで独自の価値観を築きました。それがリンゴォの言う「果たし合い」、すなわち戦いこそが人を高めるという考え方でした。そこで最も重要なのは「公正に戦う」こと。

荒木飛呂彦(2017)「STEEL BALL RUN
ジョジョの奇妙な冒険 Part7」第6巻 集英社文庫

僕はここにアメリカの「人権」に対する根源的な価値観が秘められていると思っています。あくまで個人的な意見ですが日本人の考える人権とは「生まれながらに与えられ、護られるべきもの」、そう認識されていると思います。つまるところ人間は生まれながらに平等である。学校でもそう教育された筈です。しかしアメリカ人は違う。僕が考えるアメリカ人の根源的な部分での人権の捉え方はこうです。

『平等に戦うこと』

全ての人間は不平等に生まれてくる。富める者もあればそうでない者もあり、強き肉体もあれば弱き肉体もある。そして人生とは戦いである。しかし不平等な条件下における戦いでは結果は自ずと決まっている。そんな戦いは「人」としての戦いでなく、「犬畜生」の戦いと同じである。

人はそうであってはならない。人権とは何か? それは人生における避けようのない戦いにおいて「平等に戦う」権利と義務を互いに付与させるということである

これはまさにリンゴォの言うことそのものですよね? リンゴォ・ロードアゲインとは不断の努力で西部開拓を押し進めたアメリカ人の魂であり、彼らの民主主義を作り上げた精神そのものの具現化なのです。「戦って何かを得る」ことでアメリカ人は生き延びてきた。

人生において「戦い」を避けることはできない。であるなら「公正に」戦おう。つまり「公正に戦う権利をお互いに尊重すること=アメリカ民主主義の根幹」ではないかということです。そしてここでさらに重要なのは、決闘においてリンゴォが必ず先に相手に銃を抜かせることです。ジャイロはこの行為が持つ意味を後になって気づきます。

あのリンゴォ・ロードアゲインは敵だったが、一理ある男だった。あいつはこう言っていた。『男の世界』にこそ…真の勝利はあると…。あいつは決して『相手より先に銃を撃たなかった……』

あえて…だ。ヤツは『相手に先に撃たせた』

荒木飛呂彦(2017)「STEEL BALL RUN ジョジョの奇妙な冒険 Part7」第7巻 集英社文庫

『真の勝利とは何か?』

ここでヨーロッパ人ジャイロは初めてリンゴォの語る、アメリカ人の本質を理解します。リンゴォは人生とは常に戦いであり、その戦いは公正でなければならないと言いながら、まず相手に先に撃たせている。例えば西部劇におけるガンマンの撃ち合いを思い浮かべてください。彼らは決闘と称して、お互に銃をホルスターに入れたまま向かい合います。そして日本人にはちょっと分かりにくいかもしれませんが、まず相手に先に抜かせるんです。

そして先に抜いた=有利な立場に立った相手を倒す。これこそが日本人の武士道、イギリス人の騎士道に類する、アメリカ人の「決闘道」とでも呼ぶべきもの、つまりリンゴォの言う「男の道」であり、彼らの真の勝利はそこにあるのです

例えば西部劇の傑作「シェーン」を観てください。殺し屋のジャック・ウィルソンでさえ、町民を撃ち殺す際には有名な台詞「Prove It=証明してみせろ」まずはそう言って相手に先に銃を抜かせ、その後、撃ち殺します。

Shane (1953) Paramount Pictures
西部劇の歴史に残る大傑作。「Prove It=証明しろ」は、短いながらも痺れる名台詞です

なぜ、アメリカ人たちはここまで「公正な戦い」を重要視し、しかも「いったん自分を相手より不利な立場へ置きながら、それを克服する」ことを真の勝利(理想)とするのでしょう? それは彼らが逃げ出してきたヨーロッパが「身分制度」により「公正な戦い」が許されない社会だったからです

そこでは身分的に上位の者が下位を支配し、戦いにおいて「公正さ」は欠片もありませんでした。だからこそ自分たちはヨーロッパ人とは違う。ここはアメリカだ。そのアイデンティティーを「全ての人間が平等な立場で戦える権利を守る社会」としたのです。そして、その上位概念として、敢えて自分を不利な立場に置きつつもそれを克服し、相手を倒すことを最高の名誉としました。

『ようこそ、アメリカへ』

ちょっと長くなりましたが、アメリカ人の根源にあるのは「身分社会」からの逃亡と「戦い」の記憶です。彼らはヨーロッパにおいて最下層の民であり、そこからの解放を求め、海を渡り、戦い、勝ち取り、生き残ってきた人々です。そして「戦い」が人生において不可避なものであると知っているからこそ、そこに人としての節度が必要だと考える。「平等なる戦い」それこそが最も守られるべき権利。

これが現在、世界を席巻するアメリカ人の本質だと僕は思います。そしてここには人としての気高さと同時に、ある種の狂信性や冷酷さ、そして「強さこそが正義である」という傲慢さもまた同居しています。荒木さんはそれをリンゴォ・ロードアゲインというキャラクターで見事に表現しました。凄いと思います。そしてリンゴォは自分に勝ったジャイロに対して、彼なりのやり方で最後に祝福を与えました。

ようこそ『男の世界』へ

荒木飛呂彦(2017)「STEEL BALL RUN
ジョジョの奇妙な冒険 Part7」第6巻 集英社文庫

その5へ続く

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