新たなる世界への神話、「マッドマックス 怒りのデスロード」 ─ その6

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『反転される言葉と、意味の変化』

ここでは先の投稿で書いた「行き」と「帰り」で180度、反転する言葉の意味について書いていきます。これはストーリーの進展とも深く関わっており、2つに分かれてしまった意味や存在というのは全体を貫くテーマとも言えます。実際、この映画の冒頭は2つの頭に1つの身体のトカゲが出てきます。これはマックスとフュリオサ、男と女、引き裂かれた世界、それらをひとつにする物語なのだという、作者ジョージ・ミラーからの宣言であると個人的には理解しました。

Mad Max: Fury Road (2015) Warner Bros.

★アンチ・シード/種

それでは最も分かりやすい「種」から見ていきます。まずは「種」とは、植物が全く生えていない荒野の惨上から見ても、この世紀末の世界において非常に貴重な「前世界の遺物」だということをおさえておきましょう。言葉としてはDVDだと1時間4分あたりに出てきます。日本語訳では、まずダグが「弾は“死の種”よ」と呟くと、フラジールが「植えられたら死ぬ」と返します。

ちなみに原文ではダグが「Angharad used to call them Antiseed」=「スプレンディドはそれをアンチ・シードと呼んでいた」と言い、フラジールが「Plant one and watch something die」=「それを植えて、何かが死ぬのを見ていた」と返します。

「Anti=アンチ」とは「反対の」を意味する言葉であり、「アンチ・シード(反対の種)」とはスプレンディドが創りだした造語です。紛れもない「死」の象徴であり、閉じ込められた檻の中、独りでそれを地面に植えていた彼女の姿を想像すると切ない気持ちになります。これは個人的な想像ですがお腹の中の子に対して、死んでくれないか、そう願っていたのだと推測します。

そんな「種」ですが、世界の果てともいうべき場所で出逢った老婆の一人(脚本ではKeeper of the Seeds=種の守護者となっています)からダグは本物を見せられます。老婆がなぜ、大切な宝である「種」を彼女に見せたのか?

それは彼女の胎内にもイモータンの子供が宿っていたこと。それに加えて、子供に罪はないとして、最終的には産むことに決めたスプレンディドと異なり、ダグはお腹の中の子に、産まれてこないでくれと強く願っていたからです。

Mad Max: Fury Road (2015) Warner Bros.

その後の会話を聞いても分かりますが彼女の心の中には明確な男に対する「殺意」が宿っています。おそらくこのままでは彼女は何としても子供を堕胎しようとするでしょう。そんな彼女の荒んだ心を癒やすため、老婆は本物の種を見せることで、人を殺さなくても生きていける「未来」を提示しました。つまり種は「死」の象徴から「新たな世界」への道しるべとして意味が反転されたのです

種を持っていた老婆が死の間際、迫り来る敵に対して、「弾丸=アンチ・シード」を目に突き刺すシーンは象徴的です。世界をこんな酷い状態にしてしまい、それでもまだアンチ・シードをばら撒き続ける男どもに対する、女性からの報復と言えます。

その後、ダグが老婆から種を「継承」するシーン(DVDだと1時間45分あたり)は感動的です。窓ガラスを隔てたカットを採用することで生者と死者の分離が巧みに表現されています。ダグはガラスの向こう、既に死の世界へ旅だってしまった老婆に対し、弔いの気持ちをガラスを撫でることで表します。

Mad Max: Fury Road (2015) Warner Bros.

触りたい、でももう触ることはできない。その残酷さと切なさを表現した名シーンだと思います。一切セリフがないのがまた良いんですよね。

★Witness Me!/俺を承認してくれ!

ウォー・ボーイズらが「死」に際して叫ぶ言葉です。これも分かりやすいですね。ただし日本語訳では「俺を見ろ!」となっています。「Witness=ウィットネス」にあたる適切な日本語がないのでこうしたのでしょう。

しかし、それによって「上位の存在に対して、己を認めてもらう」という意味は薄れてしまっています。これはイモータン・ジョーの創造した「Fury Road」という宗教&神話の中で、英雄として自分を認めて欲しいという彼らの心の叫びです。

Mad Max: Fury Road (2015) Warner Bros.

ウォー・ボーイズたちは等しく放射能汚染で身体を蝕まれており、長くは生きられません。だからこそ、現在の「生」の世界に興味がなく、英雄として死ぬことで「死後」の世界で栄光に包まれて暮らしたいと願っています。ちょうどこの映画の公開時に世界中を恐怖に陥れていたテロ組織「ISIS=イスラム国」とそっくりだと皆が評していました。

この言葉は映画の前半部でニュークスがフュリオサもろとも自爆しようとして、死の覚悟を決めた際にも叫ばれました。これは彼らウォー・ボーイズの価値観では「殉教行為」として立派なものなのでしょうが、実は死んで楽になりたい、死後の世界で良く暮らしたい、そしてその為なら他人の命を奪うことはなんでもないという、完全に「利己的=己の利益だけを追求する」な行いです。

しかし、映画のラストではニュークスは愛するケイパブルらを救うため、己の命を差し出し、皆を壁の向こうの新たなる世界へと導きます。そして最後に別れのセリフとして「Witness Me…」と呟くのです。彼自身は彼女と一緒に向こうの世界へ行きたいと、強く願っているのにも関わらず。

Mad Max: Fury Road (2015) Warner Bros.

俺を承認してくれ」、ここでも言葉自体は変わらずとも「利己的」から「利他的=自己の犠牲を省みず、他者を重んじる」へと意味が180度変わっています。ちなみにダグが老婆に対して窓ガラスを撫でることで別れの挨拶と弔いの気持ちを表したように、ここではケイパブルが老婆たちから教えてもらった、死者を弔う「握った拳を胸に当てる」ポーズを返すことで、彼が求めていた承認を与え、死の世界へと送り出しました。

Mad Max: Fury Road (2015) Warner Bros.

★Redemption/償いと救済

実は今回の日本語訳の中で最も意味がぼやけてしまった言葉がこの「Redemption=リデンプション」です。ここは映画内では完全にカットされてしまいました。これは過去の罪に対する「償い」や、そこからの「救済」を意味する言葉で、映画の前半部と、ちょうど後半へ入る折り返し地点にそれぞれ一度ずつ出てきます。

1回目はDVDだと1時間16分あたりです。5人の女性が逃げる決意をしたのは彼女らが「希望」を求めていたからだと語るフュリオサに対し、マックスが「じゃあ、あんたは?」と尋ねると彼女は一言だけ「リデンプション」と呟きます。

なぜ「償い」なのか? ここには様々な意味が含まれています。まずは当然のことながら、彼女はイモータン配下の軍の大隊長として、様々な略奪&殺戮行為に荷担したはずです。それだけでなく、結果的に今回の脱出劇で部下だったウォー・ボーイズらも全員殺してしまいました。

さらに僕はあくまで想像だとしながらも、その3の投稿内で、過去に彼女も「子産み女」の一人として、子供を出産していたのではないかと書いています。生き抜く過程で罪を重ね続けてきた彼女の「償い」が過去の自分と同じ「子産み女」の5人を助け、イモータンからの元から「逃げる」ことでした。

Mad Max: Fury Road (2015) Warner Bros.

一方、次の「リデンプション」が出てくるのが、まさに「行って」「帰ってくる」の分岐点となるシーンです。DVDだと1時間28分あたりからですね。塩の湖(正確には海だと思いますが)へ乗り出したフュリオサらをマックスが追いかけ、思いとどまらせる場面です。そこでマックスは元いた世界、「シタデル(砦)」へ戻ろうと皆に告げます。本作で最も重要なシーンのひとつと言ってよいでしょう。

皆がそれに賛同する中、フュリオサだけは迷います。なぜなら7,000日以上の過酷な日々を耐え、ようやく逃げ出してきた所なのです。そこへ戻るなんてあり得ない。そして何よりそこから「逃げる」ことこそが彼女の「リデンプション」だったのです。

ひとり首を縦に振らない彼女に対し、マックスは言います。

「Look. It’ll be a hard day. But I guarantee you that a hundred and sixty days’ ride that way…there’s nothing but salt. At least that way you know we might be able to…together…come across some kind of redemption」

「大変なことになるぜ。160日間、延々走り続けるんだ。行けばいいさ。ただ塩があるだけだ。それだけは保証する。あんたは俺たちができるかもしれない償い(リデンプション)の方法を知っているってのになぁ……

Mad Max: Fury Road (2015) Warner Bros.

フュリオサにとっての「リデンプション=償いと救済」とは「逃げる」ことでした。しかしマックスは言います。目を逸らし、逃げ続けていた存在に立ち向かおう、それこそが俺たちにとっての「リデンプション」なんだと

ここでも言葉は同じながら、意味するところが180度変わっています。そしてその言葉を聞いたフュリオサは「シタデル」への帰還を決意します。ここで重要なのは「俺たちのリデンプション」とマックスが言っていることです。

フュリオサは過去から「逃げ出そうとした」人間でした。これはマックスも同じです。その3でも述べたように、彼は妻と娘のみならず、その替わりとも言える母子すら自分のせいで死なせてしまい、罪の意識と、そこから生じた少女の亡霊から逃げ続けてきました。しかし、彼もまた己の過去に立ち向かう決意をします。それを促したのが他ならぬ少女の亡霊だったのは象徴的です。

彼女は塩の湖の先へと進むフュリオサたちを止めろとマックスに語りかける時、「Come on, Pa. Let’s go!」=「さぁパパ、急いで」と語りかけてきます。つまり少女の亡霊とは、実は娘でもあったということです。

己のせいで死なせてしまった2組の女性たち、しかし3組目の彼女らを救うことで「償い」を果たそうとマックスは決意しました。そして互いの「リデンプション」が合致したからこそ、彼とフュリオサは固い握手を交わすのです

Mad Max: Fury Road (2015) Warner Bros.

★Home/故郷

フュリオサにとって20年近く、心の中に抱き続けてきた「Home=故郷」とは「Green Place of Many Mothers(緑の地)」でした。つまり彼女にとっての「Home」とは「過去の記憶の中」にあったのです。そこが見るも無残な現状となっていることを知った時、彼女は故郷を、いやそれどころか、これまで必死に歯を食いしばり、耐え続けてきた「生きる意味」すらも失いました。

しかしマックスは「シタデル(砦)」こそが「新たなHome=故郷」なんだと諭し、その言葉を胸に彼女は立ち上がり、帰還を決意します。「過去」から「未来」へ。ここでも言葉の意味するところが180度転換されています

Homeとは数ある英単語の中で最も分かりやすく、世界中で理解される言葉のひとつでしょう。こんなシンプルな言葉で、とんでもなく深い表現を果たしたジョージ・ミラーを心から尊敬します。

しかし戦いの中、フュリオサは傷つき、彼女の命は風前の灯火となります。その時、呟いた言葉。これは残念ながら日本語訳では完全にカットされてしまっています。そのセリフはこうです。

「Home. You didn’t get them…home」=「あなたをホームへ導くことができなかった……」

砦から連れ出し、新たなる故郷へと導けなかった5人の女性らとマックスに対し、彼女は後悔と懺悔の念を残し、そのまま死のうとしています。

Mad Max: Fury Road (2015) Warner Bros.

しかし、「No, no, no, no…」彼はそれを押し留めます。なぜなら、過去の罪に溺れ、自責の念に苛まれながら堕ちていくその姿は、まさに以前の己自身の姿だったからです。「駄目だ。俺のようになってはいけない。そこへ堕ちてはいけないんだ!」それは生きる意味もなく、屍のように荒野をさすらったマックスだからこその想いです。

彼は彼女に自分の血を与え、さらに明かさずにいた名前まで教えます。彼はそこで「リデンプション」を果たしたのです。

「Max. My name is Max. That’s my name」

その7へ続く

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