新たなる世界への神話、「マッドマックス 怒りのデスロード」 ─ その5

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『行きて、帰りし物語 』

本作は乱暴に言うと「イモータンの元から逃げ出した主人公たちが、一直線に行き着く所まで行ったら、やっぱやーめた、と180度ターンし、元の場所にこれまた一直線で戻ってくる」というお話です。こんなのストーリー性なんて何もないじゃないか、そうおっしゃる方がいるかもしれません。

もしくはそれ以前に、どうせ帰ってくるんなら、始めから出て行かなければいいだろう、そう考える方だっているでしょう。確かに主人公たちは結局は元の場所に帰ってくるくせに一度は旅立ち、幾多の危険を冒し、その結果、何名かは命を落とすわけですから。

Mad Max: Fury Road (2015) Warner Bros.

しかし、この「行って、帰ってくる」という行為には大きな意味があります。「生きて帰りし物語」とは世界中の多くの「神話」や「昔話」で見られる物語の骨格となる「構造」です。要素を分かりやすく以下に抽出しましたので、これを参考に今一度ご覧になれば、本作がまさにこれに沿って作られていることが分かります。

  1. 主人公が住んでいる世界なり社会が、何かしらの厄災に見舞われる。
  2. それにより主人公は一度、その世界から出て行かなければならなくなる。
  3. 厄災の原因を排除しに、「異世界」へと向かう。
  4. 「異世界」と主人公が住む世界との間には「門」があり、それを開け、通り抜けるのには多大な困難が伴う。また、それにより何かしらの代償を払わなければならない時もある。
  5. 「異世界」の奥にある、地獄やこの世の果てのような場所で、厄災の原因となる存在を倒したり、厄災を取り除くための道具や啓示(通常では知り得ないような知識)を得る。
  6. 元いた世界へと引き返す。
  7. 「異世界」から元の世界へと通じる「門」を再び開け、通り抜ける。それは行きと同様、困難な出来事であり、ここでも何らかの代償を負わされる場合がある。
  8. 元いた世界へと帰還し、その社会や共同体を再興する。また、5の「異世界」の奥で得た、道具や知識、経験がそこで大いに役立つ。

これは本作「マッドマックス 怒りのデスロード」も含めて、現代の様々な物語で多く見られる構造であり、例えば、子供から大人まで大人気の「PIXAR=ピクサー」の作品も、ほとんどがこれで作られています。一例を挙げるなら大傑作である「トイ・ストーリー3」や「インサイド・ヘッド」など。ご覧になられた方なら、それらの作品の中で、それぞれどの箇所が1から8に当たるのか、確認しても面白いでしょう。

ちなみに前日譚のコミックにイモータン・ジョーが「シタデル(砦)」を攻略した場面が描かれているのですが、そこもまさにこの構造となっています。そこから「Fury Road」という「神話」を構築し、部下たちウォー・ボーイズらを洗脳していったのでしょう。

Mad Max: Fury Road (2015) Warner Bros.

『なぜ、人は物語を求めるのか?』

それではなぜ、かくも多くの「物語」がこの「行きて、帰りし」構造で描かれるのか? これは、そもそも人がなぜ「物語」を必要としたのか、そのことを考えれば分かります。ほんの300年程前まで、この地球上では地域や文化水準によって異なるものの、平均寿命は20代から良くても30代後半で、人は今なら考えられないような些細な理由で簡単に死んでいきました。

また女性はまさに「子産み女」として、妊娠できる年齢になると際限なく、子作りを強要されました。産んでは育て、また産んでの繰り返しです。間違いなく、それらの時代における成人女性の死因の上位は出産に伴うものであったはずです。

「死」は現代よりずっと濃密かつ、日常的な出来事であり、その時代に生きた人々は、どんなに身近で愛しい人の死であっても、それを呑み込み、振り返らずに生きていかなければなりませんでした。「現実」は今より遙かに過酷で無慈悲であり、死者を嘆き続けている時間などありません。

では愛する人の死や、報われない現実を前に、それでも明日を生きていかなければならない時、人はどうすれば良いのか? それは「回復」することしかありません。肉体的には食事を摂り、眠ることです。

しかし「心」や「精神」は簡単には回復しません。そこで「心」の治療の為に人類が生み出したものこそが「物語」であり、なによりこの「行きて、帰りし物語」でした

Mad Max: Fury Road (2015) Warner Bros.

『人が心を癒やしていく過程とは?』

人は非常に辛い出来事に遭遇し、「心」が深く傷ついた時、それを回復させていく過程で一度、この辛く過酷な「現実世界」から精神を切り離さなければなりません。これが箇条書きの部分で述べた、1と2に当たります。

  1. 主人公が住んでいる世界なり社会が何かしらの厄災に見舞われる
  2. それにより主人公は一度、その世界から出て行かなければならなくなる。
  3. 厄災の原因を排除しに、「異世界」へと向かう。
  4. 「異世界」と主人公が住む世界との間には「門」があり、それを開け、通り抜けるのには多大な困難が伴う。また、それにより何かしらの代償を払わねばならない時もある。

そして3にあるようにその原因を取り除くため、「異世界」つまりは「空想や追憶の世界」へと旅立つのです。しかし「現実」から「異世界」へと、簡単に行けてしまっては困ります。なぜなら、そんなことを繰り返せるのなら、人は辛い「現実」より、心地良い「空想や追憶の世界=異世界」へ閉じこもろうとするからです。現代ならゲーム中毒の人たちなどがこれに当てはまるのでしょう。

だからこそ優秀な「ストーリー・テラー=物語を創る人」は4の部分に「門」を築き、そんな簡単には「異世界」へ行けないようにします。この「門」をくぐるのは「異世界」へ行くために必要な通過儀礼であり、この過酷な儀式を経ることで、僕らはより深く、背筋を正しながら物語世界に没入できるのです。

『現実世界と異世界を隔てる門』

本作で言えば4に当たるのはあの途方もない砂嵐であり、モトクロス・バイクを操るイワオニ族が治める谷でした。そしてそこを通り抜ける際、代償としてスプレンディドの命が差し出されます。これによって観ている我々はもちろんのこと、主人公たちもまた彼女の死に感化され、亡くなった彼女のためにも、より強く世界の果てを目指そうとするのです。

実際それまでは守られるだけの存在だったケイパブルが己の殻を打ち破って行動を起こすと、ニュークスとの出逢いを果たし、彼を仲間へと導き入れました。

Mad Max: Fury Road (2015) Warner Bros.

また、ここまで述べた4と対になる部分が7であり、ここも非常に重要です。7とは「異世界から元の世界へと通じる門を再び開け、通り抜ける。それは行きと同様、困難な出来事である。ここでも何らかの代償を負わされる場合がある」と書きました。

では、なぜここが重要なのか? それは人間にとって、今いる「現実」の世界より向こうの「異世界=空想や追憶の世界」の方が遙かに魅力的であり、ただそこから戻ってくるだけでは、現実世界では呆けたようになってしまうからです。つまり「心」が向こうの世界に残ってしまうということですね。ちなみにこの7の部分がないことで起こった悲劇を描いた映画がクリストファー・ノーランの「インセプション」です。

Inception (2010) Warner Bros. Pictures
「心」があちら側の世界に残ってしまったことによる悲劇を描いた、いかにもノーランな作品です。

『門を越え、世界を行き来するということ』

つまり「異世界=空想や追憶の世界」から戻ってくる時には、この辛く厳しい「現実世界」を生きる意味を再確認する必要があるんです。だからこそ、ここではニュークスが皆の命を救うため犠牲となりました。彼は愛するケイパブルを始め、皆と一緒に、この「門」の先にある新たな人生を夢見ていました。しかしそこに敵が立ち塞がります。

彼は結局のところ、自分の命と引き替えに「門」を閉じ、向こう側の世界へと愛する人や主人公らを導きました。「門」は閉じられ、もう「異世界」から悪しき存在はやってくることができません。そして、ニュークスから託された生きる意味と覚悟を胸に、主人公たちは元いた世界へと帰っていきます。

Mad Max: Fury Road (2015) Warner Bros.

ちなみに児童向けのピクサーの作品ではこの4と7、「門」とそこでの「犠牲者」の存在が薄まっています。やはり「死」が描かれるということが、まだ未成熟な子供たちにとって、ショックが強すぎるということなんでしょう。実際、大傑作と評しましたが、「トイ・ストーリー3」には、この4と7の部分がほぼ完全にありません。

Toy Story 3 (2010) Pixar Animation Studios/
Walt Disney Pictures

完璧と言っていいストーリー構築が凄い! 子供から大人まで愉しめる、まさに現代神話の大傑作。

しかし、その5年後に発表された「インサイド・ヘッド」では「ビンボン」という素晴らしいキャラクターが最後に己を犠牲に主人公ヨロコビを救い、元の世界へと導きます。そして暗闇の底で忘れ去られ消えていく、彼の存在を思うからこそ、ヨロコビは奮い立つのです。これを最初に見た時は心底、心が震えましたし、これを児童向けの作品でやりきったピクサーって本当に凄いなぁと思いました。

Inside Out (2015) Walt Disney Pictures/Pixar Animation Studios
子供向け作品でここまでやるか? ピクサーのすごさが全開。ビンボンのシーンは何度観ても感涙。

『人類が築いた英知、それが物語である』

本作「マッドマックス 怒りのデスロード」がなぜ世界中の人々の心を捉えたのか? なぜピクサーの作品は子供から大人まで人気であり続けるのか? もちろん作品の質は言うまでもありませんが、それはこの「行きて、帰りし物語」という、人類に根付いた「心を癒やす」仕組みを有しているのが大きな理由なのだと思います。

さらに本作で僕が見事だと唸ったのが、作者ジョージ・ミラーが、この「行って」、そして180度ターンして「帰ってくる」という作りに合わせて、幾つかの象徴的な「言葉」を並べ、その言葉の意味するところを「前半=行って」と「後半=帰ってくる」の部分とで180度変えたことです。彼は一見、シンプルに見えるこの物語を様々なやり方で「複層化=ひとつの物事に、多くの意味を織り込ませること」をしました。

これは音楽で言うなら、あるメロディーをひとつの楽器で弾く(独奏する)のではなく、様々な楽器で弾く(重奏する)ことでハーモニーを生み出すことであり、それによって、物語は「厚み」を持ちます。重奏的な作品は例えそれらが意味することに全く気づかなくても、なぜか人の心にしっかりと残るんですよね。

その6へ続く

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