「ファイト・クラブ」が炙り出す、男に生まれるとは如何なることか? ─ その1

『溝口力丸さん、どうもありがとう』

2019年現在、広告制作に携わる人間にとって厳しい世の中です。90年代まで人々は広告を「見る&読むべきもの」として「能動的」に咀嚼しようとしてくれました。しかし今やネットではCookie(詳細な閲覧情報の記録)から勝手に広告が選別され、表示されるようになっています。

そんな中、人々はもはや自らの意思で広告を「能動的」に読み込んでくれることが非常に少なくなりました。そのような現状に対して、生み出された手法として「インフルエンサー・マーケティング」と呼ばれるものがあります。

これはSNS等において強い影響力をもつ「インフルエンサー」に商品やサービスを紹介してもらうことで、購買行動に影響を与えるというものです。彼らが発信する情報自体は、各企業がCMやキャンペーンで訴求する内容とあまり変わりありません。

しかしお気に入りの「生身の人間=インフルエンサー」が「自分ごと」として、商品やサービスの「体験」を語ることで、消費者は興味を喚起されるのです。つまり広告が「情報の提示」なら、インフルエンサー・マーケティングは「他者の人生における経験の提示」だということです

これはSNSをやる多くの人たちが「他者の人生とつながることを愉しんでいる」ということに他なりません。SNSは今や程度の差こそあれ、皆さんの人生に「食い込んで」いると思います。(実は僕は全くやっていませんが……)なぜSNSがここまで流行るのか? それはTV全盛時代には考えられることもなかった、有名&無名を問わず「他人の人生」こそが最大のコンテンツであるということだと思います。

僕は現在、コピーライティングを生業のひとつとして社会生活を送っていますが「人生を通した経験の提示」は文章を書く際にも有用で、実際コピーを書く時には可能な限り「自分ごと」として語るようトーン調整しています。分かりやすく言うと「ただ説明しない」と言うことですね。

このブログにおいても主体を「僕」として「僕自身」の経験も踏まえて、こう感じました、こう考えました、という風に「語りかけるイメージ」で書いているつもりですし、そうすることで「説明」は「物語」へと変容していきます

ちょっと前置きが長くなりましたが、こういったマーケティング手法にまんまと乗せられ、その結果、大満足する出来事がありました。今年の9月末、場所は有楽町の三省堂書店、文庫本売り場に平積みされていた小説「ファイト・クラブ」を手に取った時です。

後から調べるとちょうど再版がかかった時期だったので、そのキャンペーンだったみたいですね。30冊近くがドーンと積まれ、さらにポップには担当編集者、早川書房の溝口力丸さんの言葉が大きく書かれていました。

「この本を復刊したくて早川書房に入社しました」

僕はこの溝口さんという編集者を存じませんし、だからこそ僕にとっての「インフルエンサー」でもありません。それでも一人の人間の人生を狂わせる魔力がある、そんな強烈な本であるということだけは明確に伝わりました。そして手に取ります。「ファイト・クラブか……確か、デヴィッド・フィンチャーの映画だったな。原作があったのか……」正直、迷いました。

家には買ったものの、まだ読んでいない本が山積みになっているのです。映画自体も見ていない(個人的にフィンチャーはあまり好みではない)ですし、作者であるチャック・パラニュークも始めて聞いた名前でした。別に僕自身が読書家であるとは言いませんが、それでもザッと、その時々で読むべきだとされる海外小説はチェックしているつもりでしたし、そんな中、全く知らない作家というのは不安だったのです。

ただし、先に書いたとおり一人の人間の人生を狂わせた小説だというところに強い魅力を感じましたし、本の裏の帯文に掲載されていた溝口さんの熱い想い。勝手ながら「こいつは俺の同士だ!」そう思い、レジに並びました。大正解でした。願わくば、これが出版された1996年に読みたかったなぁというのが率直な感想です。

これを書いている現在、僕は46才。もちろん感動に年齢なんて関係ありません。それでも1996年のまだ20代中頃、ちょうど一社目の超ブラック企業をすったもんだ(社長にお前なんて出て行けと塩をかけられた)で退職し、これからどうしようかなぁと悶々としていたあの頃の自分に読ませてやりたかったと切実に思ったのです。

これは読んだ人間と、読んでいない人間ではその後の人生に少なからず「違い」が出る、そんな力を持った小説だと思います。だからこそ、若い時に出逢いたかった……。さらに僕が驚いたのが20年以上前に書かれたものとは思えない、圧倒的な現代性でした。

そこそこ分厚い文庫本ですが、とにかく読みやすく、数時間で一気読みしました。この『可読性の高さ』は凄いです。

『人間とは何か? 人生とは何か?』

この小説が凄いのは資本主義社会の中で皆が抱えている潜在的な「不安」をダイレクトに鷲掴みにして、『お前は今のままでいいのか? 人間って何だ? 人生って何だ?』と痛切な問いを突きつけてくることです。

資本主義社会における絶対的なルールは「領土の拡大」です。資本主義とは泳ぎ続けていないと溺れてしまう鮫の様なもので、常に新たな領域へ開拓&進出し、そこを搾取することで利潤を上げ続けようとします。昨日より今日、今日より明日、常に右肩上がりが求められる異常なシステムなのです。

ジョジョの奇妙な冒険(スティール・ボール・ラン)の評論でも述べましたが、特にアメリカはヨーロッパからの独立と発展において、この資本主義を強力なエンジンとした為、その利益を最大限に享受したのに加え、負の側面もまた多大に抱え込みました。

アメリカの男たちは生まれ落ちると同時に「男とはこうあるべき」「男なら何者かに成れ」と強烈な呪い=プレッシャーを常に受け続けます。家を出て、自分の身を立て、金を儲け、子をたくさん成し、新たな家を作る。つまり資本主義の無限増殖ループ=領土の拡大に組み込まれるのです。

『資本主義の恐ろしさ』

アメリカが世界の中心で繁栄を謳歌していた頃は、アジアやアフリカの国々から安い労働力を搾取し、充分な利益を上げることができました。しかし、それらの国が発展し始め、思うような利益が上げられなくなると資本主義は別の獲物を狙い始めます。それが2000年代後半にアメリカ国内で起こった、いわゆる「サブプライムローン問題」です。

「サブプライム」とは「プライム」層より信用力の低い所得者層(サブのプライム層)を指し、そんな彼らを対象にした高金利の住宅ローンが「サブプライムローン」です。金融会社はあえて信用力の低い彼らに大量にお金を貸し付けました。そして住宅価格の上昇が止まり、金利だけが上がり続けたことから、返済不能に陥るケースが相次ぎ、多大な損失を生み出したのです。

なぜ、こんなことが起こるのか? それは先に書いたように資本主義の絶対的なルールが「領土の拡大」であり、常に新たな領域へ開拓&進出し、そこを搾取することで利潤を上げ続けようとするからです。

つまり世界中の搾取できる領域が減少したため、搾取へと向かう刃のベクトルが反転し、今度はアメリカ国内の弱い部分(低所得者層)、つまり自らを狙い撃ちにし、喰い尽くそうとしたのです。資本主義とは人間がコントロールすることのできない怪物のようなものです

『資本主義に対する闘争=逃走』

思えばアメリカという国は映画を中心として、これまでに多数のアンチヒーローを生み出してきました。アンチヒーローとは通常のヒーローとは異なり、社会の常識を守ろうとしない、いわゆるアウトサイダーです。

「明日に向かって撃て」のブッチとサンダンス。「俺たちに明日はない」のボニー&クライド。「時計じかけのオレンジ」のアレックス。「イージー・ライダー」のワイアットとビリー。彼らは皆、社会にNoを突きつけ、その結果、社会から反撃を受け、多くは死を迎えます。この様なヒーロー像はヨーロッパには見られないものです。

Butch Cassidy and the Sundance Kid (1969) 20th Century-Fox

なぜ彼らはアメリカの地で生まれ、アメリカのヒーローたり得たのか? それはアメリカの病とも言うべき、資本主義&消費社会の無限増殖ループから「逃走」を果たした人間だからです

アメリカ人はせっせと消費&競争を続けながらも、潜在的にはそこから抜け出したいと願っている。だからこそ、結末がたとえ「死」であれ、そこから抜け出ることのできた人間をヒーローとして崇めるのだと思います。

ファイト・クラブ」のタイラー・ダーデンとは、これまでの「闘争者=逃走者」が用いた銃やバイクとは全く違ったやり方で、しかしこれまでの彼らよりずっと有効性のあるやり方で、「闘争=逃走」を成し遂げた、まさに歴史的なアンチヒーローなのです

※ちなみに国民的人気漫画「ワンピース」に出てくるキャラクター、「ドンキホーテ・ドフラミンゴ」は明らかにタイラー・ダーデンがモデルだと思います。

その2へ続く