抑圧が生み出した悲しき傑作、「象は静かに座っている」 ─  その1

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『緻密に計算尽くされた、巨匠の作品』

2018年11月の日本公開(これを書いているのは2022年8月です)で合計234分=3時間54分、すなわち約4時間の超大作『象は静かに座っている』は公開当初、映画好きの間で結構な話題を集めた作品でした。実際、ベルリン国際映画祭の最優秀新人監督賞を始め、国際的にも高い評価を受けています。

加えて監督&脚本のフー・ボー(胡波)が処女作でもある今作を撮り終えた後、29歳の若さで自殺した事からもある種の『神格化』がなされました。

© Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen

これは作品を観る際には余計なノイズにもなります。正直、個人的には若さからくる、①前のめりで表現欲の抑えが効かなくて、②その結果、4時間にまで膨らんでしまった、③高い志は理解できても、作品自体はそこまで良い映画ではないのでは、と失礼ながら思っていました。

今回、Amazonプライムで無料で観れるようになったのを期に大変遅ればせながら鑑賞しましたが、第一の感想として「これってもう完璧じゃん……。この人、本当は大ベテラン=巨匠じゃないの?」というものでした。

© Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen

まずもって作品構成の緻密さに圧倒されました。4時間と言う長時間はだらだら撮った結果として、膨らんでしまったものではなく、最初からこの時間で設計されていたと確信しますし、その為、長い時間を観ている人たちを飽きさせない配慮もしっかり張り巡らされています。

4時間もの映画を撮る人物だと聞くと、難解な表現を志向する、ちょっと頭でっかち&インテリな映画人だろうと勝手な想像をするところですが、個人的印象は真逆で、ギリギリまで攻めはしますが、ここまでの表現なら一般の人でも少し想像すれば理解して貰えるという、絶妙なさじ加減で作品を撮っています。誤解を恐れずに言うのなら、大衆的なポップさをしっかり兼ね備えた人です

だから、もしまだ観ていない方がいるのなら、映画配給会社が設定した「29歳で命を絶った若き無垢なる才能」、「処女作にして遺作」、「魂を震わす4時間」みたいなお涙頂戴(すいません、僕も広告屋なので、マーケティング視点からは充分理解できます)の販売戦略を真に受けて身構えずに、まっさらな気持ちでこの監督を「信用して」今作を観て欲しい欲しいと思います。

これは①真に映画的に素晴らしく、②4時間という長時間を意味あるものとして昇華させきるという、昨今ではあり得ない映画的偉業を成し遂げ、③同時に中国という『社会主義国家の現在を生々しく描写し、④かつ、時には命にも関わる、『表現に抑圧のかかる厳しい環境下で、それでも不屈の表現者がどう戦ったのかという戦史でもあります。それら全てが落とし込まれたのがこの『象は静かに座っている』という大傑作なのです。

『中国で、映画を撮るという事 ─ ①』

まず中国の映画を観る際、我々日本人が無意識に見落としてしまうのが、中国は情報統制国家であり、映像作品には必ず共産党の検閲が入っているという事です。当然ながら彼らにとって都合の悪い表現は全てカットされ、変更を余儀なくされます。

また特に反抗的な人間は強制労働施設(労働教養所)に放り込まれ、過酷な拷問を受けたり、時には殺される場合だってあります。これに関しては同じく2018年に公開された衝撃的なドキュメンタリー映画『馬三家からの手紙』があります。

©2018 Flying Cloud Productions, Inc.

映画が発表されたのが2018年ですが、あれからさらに情報統制が厳しくなった現在の中国なら、今作『象は静かに座っている』は発表できなかったかもしれません……。

そのような環境下で作られた作品を見る場合、我々が注意しなければならないのは、何が撮られているのか? ではなく①何が撮られていないのか?、加えて反体制的なメッセージが叫べない以上、②どうやって映像内に本当の作者の意図が隠され&変換されているのかの2点です。

①何が撮られていないのか? に関しては明白であり、言わずもがな中国共産党です。主人公らの生活がこれだけ逼迫しているのは明らかに彼らのせいであるのに、直接的にそれを表現することは許されません。共産党の見えない影は検閲という形でまるでレースのカーテンのように薄い靄で作品全体を包み込んでいます。

②映像内に隠されたメッセージに関しては一例として、以下に貼った中国国内宣伝用のポスターを挙げましょう。一見してあまりに凡庸なビジュアルです。けれどよく見ると主人公ら4人は直接陽光を浴びず、太陽に背を向けた逆光状態となっています。

© Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen

これが意図することは明らかで、彼らは光を見れず、暗闇の中を生きているという事です。ただしこの逆光表現は強くなりすぎると影が濃くなり、不穏な空気が醸し出されてくるので、うっすらとそれが分かるよう、絶妙なさじ加減で抑制されています。

ちなみにこれを撮影するのはかなり大変なんです。カメラの特性上、こんな条件下で撮ったら、①人物はただの真っ黒な影だけになるか(背景をきちんと見せようと、そこに合わせて露光時間を設定した場合)、あるいは②背景が白く飛んで何も見えなくなるか(人物をきちんと見せようと、そこに合わせて露光時間を設定した場合)のどちらかです。そこで光の反射板を4人の前面に立て、それぞれの表情や姿をきちんと映しながら、同時に背景の山々や風景も撮っています。

おそらくは2、3カット別々に撮った上で1枚に合成しているのでしょう。つまりパッと見は凡庸でも、非常に手の込んだ、通常ではあり得ないビジュアルだという事です

ちなみに背後に写る風景もまた象徴的です。中心にあるのはシャベル等で削り尽くされハゲ山で、枯れ木がまばらに植わっているのみです。今作の舞台、河北省石家荘市には井陘鉱区(せいけいこうく)という古くからの巨大な炭鉱があります。石炭採掘により掘り尽くされ、荒れ地となった地面と山々は荒廃した現在の中国の精神世界を表しているのでしょう。

これらから分かることとして、今作は検閲をくぐり抜ける為に様々な加工が施された、映像的暗号文のような一面があるという事です。作品内で言葉は額面通りの意味を持ちません。むしろ映像こそが圧倒的に作者の意図を語っており、結果としてそれらが表現の強度となって、圧倒的な深みをもたらしている。そのような意味でタイトルにも書いたように、これは『悲しき傑作なのです

『中国で、映画を撮るという事②』

共産党による検閲や表現弾圧に加えて、もうひとつ厄介なことがあります。それはどんな国であれ、映画を撮るには多額のお金がかかるという事です。さらにそれが中国だとなお一層面倒事となる。これに関しては映画評論サイト『Indie Tokyo』掲載の林 峻さんが書かれた『青年監督の学生時代とその素顔 ―『象は静かに座っている』について』で詳しく書かれているのでそちらをご覧ください。

そこで分かるのは日本よりさらに硬直化した、縦型社会である中国で映画を撮ることの息苦しさであり、それでも撮りたいのなら根回しや接待など、あらゆる処世術を駆使しなければならないということです。

そんな社会情勢の中、4時間もの映画を買ってくれる投資家や配給会社などなく、そのため半分の2時間に作品を切り詰めさせられそうになり、その結果に苦しんで、作者フー・ボー(胡波)は自殺したとされています。

© Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen

『象は静かに座っている』は共産党支配で荒廃した現代中国の精神世界に加え、そのような環境下で映画を撮るということの厳しさに直面しながらも、執念深く作品を完成させたフー・ボー(胡波)の戦いに加え、その後に続く挫折の物語としての側面も、しっかりと意図的に表現されています。それは後で詳しく述べましょう。

その2へ続く

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