ルシア・ベルリンという名の大河小説、「掃除婦のための手引き書」 ─ その3【完】

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『連作を通して、浮かび上がってくるもの』

この本では3度の離婚を経て、シングルマザーとして4人の子供を育てるに加え、そのために就いた様々な職業体験や自身を苦しめたアルコール中毒。脊椎側彎症とそれに端を発する幼少期に受けた過度な苛め、加えて祖父からの性的虐待。そして実は最も大きかったであろう母から愛されたことがないという痛ましい出来事が混然となって語られています。

そんな中、僕はその1で読み始めの第一印象として以下を述べました。あくまで個人的感想としてお読みください。

  1. この作者の作品はある程度の量を続けて読むことで「見えて」くるものがあり、一編読んだだけではその魅力が伝わりにくい
  2. 短編小説において重要なこととは「何を書くか」以上に「何を書かないのか」であり、作者が敢えて書かずにグッと呑み込んだものを僕らは読み取っていく。この「交感作業」こそが本当の意味での「読書」であり、特に短編小説ではそれが重要である。そんな中、僕は彼女がそれぞれの小説の中で「何を言い残したのか」が良く分からなかった

しかし、4分の1ぐらいの地点から印象がガラッと変わりました。なぜなら彼女が決して文章にすることのなかった、すなわち「彼女が言い残したもの」=「彼女の苦しみや悲しみ、切なさ」が脳内にドッと溢れ出てきたからです

ルシア・ベルリンの作品が人々をノックアウトする最大の源泉がここにあるのだと思います。彼女は小説内に自意識を持ち込まない。すなわち己の人生に対し、恨み辛みや泣き言を述べない。それが俗な言い方をすると彼女の「格好良さ」であり、男性はおろかそれ以上に女性読者を惹きつける。

しかし、ある程度の作数を読み進めるうちに、彼女が発することのなかった声なき声、いわばゴーストノート(楽譜で表現されない音)とでも言うべき「嘆きや叫び」がそっと吹き出てくる、そういう二重構造になっている

だからこそ、もし僕みたいに始めはイマイチだと感じた方がいれば、できれば3編ずつぐらいでまとめて読んでみて欲しい。すると「うわーっ」という瞬間が必ずやってくる。言い換えると彼女が呑み込んだゴーストノートが聴き取れるようになってくるのです。ちなみに僕の場合は『ファントム・ペイン』のラストでした。

車椅子を押して丘を登るのには苦労した。暑くて、車やラジオはうるさくて、ジョギングの足音はどすどすひっきりなしだった。スモッグが垂れこめて、向こう岸も見えなかった。メモリアル・デーのなごりのゴミや残骸。茶色く泡立った湖面に、紙コップが白鳥みたいに優雅に浮かんでいた。丘の上に着くと、わたしは車椅子のストッパーをかけて煙草に火をつけた。父が笑った。悪い笑いだった。

「最悪だよね、父さん」

「ああまったくだ、ルー」

父はストッパーをはずし、車椅子がゆっくり坂を下りはじめた。わたしは最初ただぼんやりそれをながめ、それから煙草を投げ捨て、速度をあげてレンガ道を下りはじめた車椅子をつかまえた。

ルシア・ベルリン 著/岸本佐知子 訳(2019)「掃除夫のための手引き書」講談社

『ルシア・ベルリンという名の大河小説』

だからこそ初期から晩年まで万遍なくセレクトされた選集『A Manual for Cleaning Women』=『掃除婦のための手引き書』という形になるまで、人気にならなかったのではないのでしょうか。優れた作品ほど上記で述べたような「複層性」があります。その複層性を見えやすくなるよう後押ししたのがリディア・デイヴィス&岸本佐知子さんのセレクションだったと思うのです。

確かに彼女は素晴らしい作家です。しかし発売4ヶ月で7刷という異例の「大爆発」をした最大の理由はここにあるのではないか? 人生は一瞬一瞬の積み重ねです。その積み重ねを幼少期の「沈黙」から晩年の死を明確に意識した「巣に帰る」までを通して読むことで、短編集だったそれがいつの間にか「大河小説」になっている。だから読後感が短編小説集のそれでない、圧倒的なものがあるのでしょう。

『母の呪い』

加えて、彼女の小説は多くの女性読者をノックアウトしましたが、その理由として、女性が生きていく上で抱えるであろう病をルシアの人生が図らずも体現していたからではないか? そう思っています。具体的には「母からの愛情の欠如と、それによってもたらされた歪み

男にとって母とはいつになっても己を包含してくれる存在であり、帰ることのできる家のようなもの。しかし女性=娘にとっては必ずしもそうではない。幼少期、母親がどう接するかによって、娘たちのその後の人生に大きく影響与えると言われています。

特に①自分の人生を肯定できるか、②生きていて幸福だと感じられるか、この2点は特に大きいのだとか。つまり同性モデルとなる母親が『どう生きているのか』が、娘の人生を大きく左右するらしいのです

以下は幼少期の母との記憶を回想する「苦しみの殿堂」の一節。ささやかかもしれない。けれど人はこんなことで、他人を決定的に損ねてしまう、それが分かる怖いシーンでもあります。

「ママ、だいじょうぶ?」しばらくしてわたしが言うと、ぴしゃりと平手打ちされた。

〜中略〜

いま思い出すと可笑しいけれど、そのときは母が胸が破れるみたいに泣いて泣いて、すこしも可笑しくなかった。そっと肩に触れると、母はびくっと身を引いた。触られるのが嫌なのだ。だからわたしは窓の網戸から射しこむ街灯の光のなか、ただ母を見ていた。

ルシア・ベルリン 著/岸本佐知子 訳(2019)「掃除夫のための手引き書」講談社

ルシアは惚れっぽい性格であり、3度の結婚を果たすけれども毎回離婚という形となって幸せは決して長く続かない。これは「愛」を否定し続けた母の人生を無意識にトレースしているからなのではないでしょうか

以下の痛ましい引用はタイトルもずばり『ママ』。この「呪い」こそが彼女を終生苦しめ、同時に作家ルシア・ベルリンを比例なき存在としたのでしょう。才能とは欠落から生じるもの。何とも皮肉な人生の真実です。

「ママは“愛”って言葉が大嫌いだった。ふつうの人が“淫売”って言うみたいにその言葉を言ってたわ」

「子供も大嫌いだった。うちの子たちがまだ小っちゃかったころ、四人とも連れてママと空港で会ったことがあるの。そしたらあの人『こっちに来させないで!』だって。ドーベルマンの群れかなんかみたいに。

〜中略〜

「愛は人を不幸にする」と母は言っていた。「愛のせいで人は枕を濡らして泣きながら寝たり、涙で電話ボックスのガラスを曇らせたり、泣き声につられて犬が遠吠えしたり、タバコをたてつづけに二箱吸ったりするのよ」

ルシア・ベルリン 著/岸本佐知子 訳(2019)「掃除夫のための手引き書」講談社
祝! 2作目も翻訳出版されました。

『全ての人生は、失敗である』

こんな素晴らしい作家を論じる最後の見出しがこんな言葉なのは失礼だと思われるかもしれませんが、僕個人の偽らざる実感です。例え1億回生き直すことができても、人は人生の最適解になど辿り着けっこない。

この真実を理解し、この重みに頭(こうべ)を垂れなければ、自分なりの人生を少なくとも「納得」して送れっこなんかない。この短編集の最後を飾る『巣に帰る』が痛々しくも鮮やかにそれを描き出しています。

もしもあのとき出ていくポールにひとこと声をかけていたら? もしもあのとき誰かに助けを求めていたら? もしもあのときHと結婚していたら? 今こうして窓の前に座り、枝もカラスもないカエデの木を眺めていると、一つひとつの“もしも”に、ふしぎと心なぐさまる答えが返ってくる。このもしもも、あのもしもも、結局は起こるはずのなかったことだ。わたしの人生に起こったいいことも悪いことも、すべてなるべくしてそうなったことなのだから──今のこの独りぼっちのわたしを形づくってきた選択や行動ならば、なおのこと。

ルシア・ベルリン 著/岸本佐知子 訳(2019)「掃除夫のための手引き書」講談社

これを最後に置いたセレクションの妙。最後にドカーンとぶちかまされました。彼女にとっての「巣」とはいったい何だったのでしょう? 20年、いや30年後、まだ僕が生きていたら、もう一度読み返してみたい。『掃除婦のための手引き書』はそんな珠玉の小説でした。

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