ルシア・ベルリンという名の大河小説、「掃除婦のための手引き書」 ─ その1

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『ルシア・ベルリンという人生』

本屋を巡っていると何の予備知識もないのに、ふとある本を手に取り、買ってしまう、そんな事ってありますよね。さらにそれが大当たりだったりする。僕の場合、そんな嗅覚を刺激する要素の一つに本の持つ「佇まい」があります。

これは言い換えると「愛されているな」という感覚です。本の作り手、つまり編集者や翻訳者、デザイナーなどの愛情がそこかしこに感じられるんですよね。

今回、取り上げるルシア・ベルリンの「掃除夫のための手引き書」はまさにそんな本でした。まず中身以前に「物体=本」として素晴らしい。Kindle等でペーパーレス化が叫ばれる昨今ですが、紙の本が生き残っていくにはこの「物体としての本」の魅力も必要なはずです。

その視点で見るとこの本はデザインはもちろんのこと、ページを繰る指先に訴える紙の選定や厚さが心地良い。この「触覚の気持ちよさ」を最近の本は蔑ろにしていると感じます。

それにしてもカッコイイ本だ!ちなみに表紙は作者本人だそうです。

そして肝心の中身と言えば、その素晴らしさに当然、作り手たちの気持ちもそうなるだろうと納得です。いい本はたくさんあります。しかし「凄い本」というのはそうそうお目にかかれない。この『掃除夫のための手引き書』は世界中で少なくない人が「人生ベストテン級」だと挙げる本だと思います。それはこの本の中にある「ルシア・ベルリンという人生」にノックアウトされるからなのでしょう。

『世界を捉える目』

これだけ持ち上げておきながら僕自身、最初にこの本を読み始めた時は正直、魅力がイマイチよく分からなかったんです。もちろんユニークな「目」と「声」を持った作家であることはすぐ分かりましたし、特に短編小説に必要であろう「瞬間の捉え方=世界のパッケージの仕方」がとにかく素晴らしい

例を挙げるなら最初に収められた『エンジェル・コインランドリー店』の一節、店内でいつも見かけるアル中のインディアンの男。彼と初めて交流するシーンです。

とうとう釣られてわたしも自分の手を見た。わたしが自分の手を見るのを見て、彼がかすかに笑うのがわかった。<洗濯物の詰めこみ厳禁>の貼り紙の下、鏡の中で、わたしたちの目がはじめて合った。

わたしの目はうろたえていた。自分の目を見、それから自分の手を見た。ひどい老人斑、傷あとが二本ある。非インディアンの、落ち着きのない、孤独な手だ。子供たちと男たちといくつもの庭が、その手の中に見えた。

その日(つまりわたしが自分の手に気づいた日)、彼の両手は張りつめた青い腿の上に一つずつのっていた。いつもはひどく震えて膝の上でぶるぶるしっぱなしだったが、その日は震えないようにぐっと押さえつけていた。よほど力をこめているんだろう、日干しレンガみたいな関節が白くなっていた。

ルシア・ベルリン 著/岸本佐知子 訳(2019)「掃除夫のための手引き書」講談社

たったこれだけの数行で2人の奇妙な関係の始まりに加え、彼女の「手」を通して、これまでの人生を一筆書きで語り、さらにアル中が進行して四六時中震えが止まらなくなった男に微かに残された「自尊心の欠片」まで、これまた「手」をモチーフに描き出している。至芸だと思います。とにかくディティールが凄まじい。

『他者=世界に対する寛容さ』

さらに惹きつけられたのは様々な意味においての彼女の「ポジティブ」な振る舞いです。例えば先のお話の中で主人公とアル中のインディアンがランドリーで隣り合って腰掛け、洗濯が終わるのを待つまでの間、繰り広げられる会話シーンがあります。

いちど彼から、おれのトレーラーハウスでいっしょに横になって休まないか、と誘われたことがある。

「エスキモーなら“いっしょに笑う”って言うとこね」わたしはそう言って、蛍光グリーンの〈洗濯機のそばを離れるべからず〉の文字を指さした。つながったプラスチックの椅子の上、わたしたちはいっしょにくっくっくっと笑った。

ルシア・ベルリン 著/岸本佐知子 訳(2019)「掃除夫のための手引き書」講談社

男の劣情をこうもあっけなく、しかも突き放さず、優しくいなしてくれるとは爽快です。「いい女だなぁ」素直に感じ入ってしまいます。こういう練れた返しをしてくれるからこそ、駄目な男だって会話をつむいでいくことができる。

逆に言うと彼女のこういった部分が一風変わった人たちを惹きつけるのでしょう。これは彼女が世界に対して常に「開いて」いることの証でもあります。

それからしばらくどちらも無言だった。静まりかえったなか、規則正しい水の音が波のように響いた。彼のブッダの手がわたしの手をとった。

列車が通った。彼がわたしを肘でつついた。「でっかい鉄の馬だ!」そしてまた二人で一からくっくっくっと笑った。

ルシア・ベルリン 著/岸本佐知子 訳(2019)「掃除夫のための手引き書」講談社

『短編小説とは何か?』

なぜ僕は最初、彼女の物語を受け付けることができなかったのか? もちろん上記で述べた圧倒的な文章の上手さはすぐに分かるものの、そのせいで逆に細部に目が行きすぎてしまうことに加え、女性の短編小説と言えばアリス・マンローが好きな僕にとっては一種の放り投げとでも言うべき、ルシア・ベルリン特有の「すっぽかし感」が始めはちょっと理解できなかったのです。

この「すっぽかし感」について説明すると、短編小説とは「何を書くか」以上に「何を書かないのか」が大切だと思うんです。先に挙げたアリス・マンローはその点が絶品で、彼女がその作品で一番言いたい&書きたかった感情を敢えて書かずにグッと呑み込んでいる

そこで僕らは「行間を読む」とでも言うべき行為を経て、それらを読み取っていく。この「交感作業」こそが本当の意味での「読書」であり、特に短編小説ではそれが重要なのだと思うのです

アリス・マンロー(2018)「ピアノ・レッスン」新潮社
デビュー作でいきなりこんな凄いもの書いちゃ駄目でしょ。さすがはノーベル賞作家!

ここで重要なのはどこまで書いて、どこから書かないかです。あまりに何も書かないと読者もどこへ意識を向けていいか分からないし、書き過ぎれば野暮になる。アリス・マンローのそれはまるでゴルフにおける絶妙なアプローチショットのよう。グリーンを転がり、ピンギリギリに絡んでピタッと止まる。思わず「ほぉー」と言いたくなる名人芸的上手さです。

『なぜ知らざれる作家だったのか?』

一方、ベルリンはマンローとの比較で言えば、彼女がそれぞれの小説の中で「何を言い残したのか」が始めは良く分からなかったんです。もしかしたら、それは皆も同じかもしれない。だからこそ彼女の死後10年近くたってこの「掃除夫のための手引き書」の底本となる『A Manual for Cleaning Women』という選集がまとめられるまで、人気が出なかったのかもしれません。

なぜなら彼女の小説はある程度の量を続けて読むことで「見えて」くるものがあるからであり、一編だけ読んでもその魅力が上手く伝わりにくい(特にすぐ全体を把握したがる僕のような人間にとっては)と考えるからです。

短編小説集とは一編ごとの面白さはもちろんのこと【セレクション=選定と配列】が重要であり、彼女はことさらそれが求められる作家だと思うのです。

その2へ続く

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