「あみ子」から「あひる」へ、 今村夏子の戦ったもの ─ その3【完】
『崩壊の予兆』 物語が決定的な転調を見せるのが、子供たちの誕生会だということで母に家を追い出された「わたし」が、バスで三十分もかかる喫茶店へと繰り出し、そこで試験勉強しようとするも、どうしようもなく眠気に襲われるシーンで...
『崩壊の予兆』 物語が決定的な転調を見せるのが、子供たちの誕生会だということで母に家を追い出された「わたし」が、バスで三十分もかかる喫茶店へと繰り出し、そこで試験勉強しようとするも、どうしようもなく眠気に襲われるシーンで...
『あみ子の先へ』 先に書いた『こちらあみ子』の評論で、僕はあみ子とはある種の「システム」であると述べました。システムとは【全体を統一する仕組みや方式】であり、まるで意思があるかのように自立的な運動を行います。前作において...
『5年後の再スタート』 日本文学史に残るであろう大傑作『こちらあみ子』を発表した今村夏子さんはその後、約5年間沈黙しました。これは仕方のないことだと思います。前に書いたあみこの評論でも述べましたが、あんなとんでもない作品...
『三人称と、巧妙な仕掛け』 今作で見事だと唸ったのが今村さんがあえて三人称でこの小説を書いたこと。加えてその使い方です。僕は小説家でないので分からない部分はありますが、それでも文章を生業にする人間の端くれとして、通常『こ...
『あみ子=この社会の外で生きる者』 『こちらあみ子』がなぜ大傑作たり得たのか。当然ながら一言で語り切れるものではありませんが、それでも最も大きな理由として、今村さんが「あみ子」を発明したからに他ならないでしょう。この一大...
『日本文学史に残るであろう大傑作』 小説家(芥川賞作家)、今村夏子さんのデビュー作であり、かつ大傑作である『こちらあみ子』を読んだ人なら頷いてくれると思うのですが、初読後はちょっと言葉が出ませんでした……。なぜならこの作...