個人は世界を変えられるのか? 「進撃の巨人」で諫山創が描いたもの ─ その5【完】

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『なぜ、世界を救うのはミカサなのか?』

今作の最も大きな謎の一つとして、なぜ世界を救うのが主人公エレンではなく、ミカサなのかが挙げられます。言い換えれば、なぜ始祖ユミルはエレンではなく彼女を選んだのか? それを紐解いていきたいと思います。

まずミカサはアッカーマンの一族でした。アッカーマンは「始祖の巨人」が持つ、記憶改竄能力の影響を受けません。これがおそらく理由の一つ目でしょう。つまり「ユミルの血を引く一族=エレン」に対して、真に「自発的」な行動を行えるということ。だからこそ束の間、2人だけの暮らしを営んでいた時も彼女の記憶を消せないエレンは以下のようにミカサにお願いしたのです。

オレが死んだら、このマフラーを捨ててくれ……。

お前はこの先も長生きするんだから、オレのことは忘れて自由になってくれ。

頼むよ……ミカサ。

忘れてくれ。

諫山創(2021)「進撃の巨人」 第34巻 講談社

そう懇願するエレンに、ミカサは最後の最後で「自発的」にこう言い放ち、彼を殺す決心を固めました。

ごめん、できない!

諫山創(2021)「進撃の巨人」 第34巻 講談社

さらに最も大きな理由として、ミカサも始祖ユミルと同様、エレンという一人の男性をずっと愛し続け、そのために命を削って戦い抜いた女性だったからでしょういわば精神的な同士として、ユミルはミカサを選んだのだと思います。ユミルは自分に非道な仕打ちを続けた王をなぜか盲目的に愛し続け、彼のために巨人となって戦争にも従事し、最後は彼を庇って死にました。

諫山創(2019)「進撃の巨人」 第30巻 講談社

それだけでなく、不死なる存在として2,000年もの間、「道」に留まり、自分と彼の子孫たちにずっと巨人の力を供給し続けた。つまり彼女の多大なる「愛」が結果的には世界を大きく蝕んでいたのです。けれど簡単に「愛」を捨て去ることなどできない。その葛藤に彼女は苦しみ続けました。

そこから先へ進むため、ユミルは自分と同じ境遇のミカサを選び、彼女のあくまで「自発的な」行動に自分と世界の行く末を委ねることにした。その結果がどうなるのか、それはエレンにも分からないことでした

今作における他の謎として、突発的に起こるミカサの頭痛が挙げられますが、タイミング的にはいつも愛するエレンの身に危険が降りかかった時に限られている。後にこの頭痛はユミルがミカサの頭の中を覗いていた為に起こった事と説明されています。つまりユミルはミカサが愛する人の危機に対して、どのように行動するのかをずっと観察していたのです。

諫山創(2021)「進撃の巨人」 第34巻 講談社

上記の絵で注目いただきたいのは、実際のユミルは王を庇って死んだにもかかわらず、ここで串刺しにされ、亡くなっているのは王であり、ユミルは彼を庇う選択をしていないことです。つまりこれはユミルの心象風景で、彼女は「王を助けない=愛を捨て去ること」を決意したのです。「娘たち=子孫」の幸せのために……。よって死んでいる王とはエレンであり、子供たちを抱きしめているユミルとはミカサでもあるのです

ミカサは「エレン=王」を殺す事で「愛」に囚われていたユミルの心を解き放ちます。だからこそ、殺した彼の首を抱きしめる彼女の背後で、初めて真に充たされた表情でユミルは微笑むことができたのです。

諫山創(2021)「進撃の巨人」 第34巻 講談社

『エレンの犯した、2つの過ち』

一方のエレンは未来の記憶である「終末の光景=逃れられない運命」に翻弄され、苦しみ続けながらも「世界の終わり」へと突き進んだ。多くの命を犠牲にしながら……。それはアルミンの言う通り「最悪の過ち」です。では具体的にエレンの犯した「過ち」とは何だったのでしょう? それを解く鍵が以下の2つの台詞にあると思っています。

この世に生まれないこと。これ以上の救済はない。

諫山創(2019)「進撃の巨人」 第29巻 講談社

オレがこの世で一番嫌いなものがわかるか? 不自由な奴だよ。もしくは家畜だ。

中略

なんの疑問も抱かず、ただ命令に従うだけの奴隷が見るに堪えなかった。オレは……ガキの頃からずっと、ミカサ、お前がずっと嫌いだった。

諫山創(2019)「進撃の巨人」 第28巻 講談社

一見、全く違うことを述べているようですが、この2つの言葉はとある「同じ視点」から導き出されている。それは「人は運命に対抗することなどできない」という諦めの視点です。1つ目として、まず「終末の光景」を見たエレンは、人類はいずれ地ならしによって虐殺されてしまうのなら(どうせ死んでしまうのなら)、生まれてくる意味なんてないと考えます。

しかしこれはアルミンによって完全否定されます。彼は人生にとって何でもない瞬間、夕暮れ時の友だちとのかけっこや、雨音を聞きながらの読書の時間、ジークにとってはクサヴァーさんとのキャッチボール、人生の素晴らしさとはそんな意味なんて何もない「一瞬」にこそ、詰まっていると看破しました。それはジークの精神を解き放ち、世界を救う事へと繋がります

諫山創(2021)「進撃の巨人」 第34巻 講談社

エレンの2つ目の過ちとは、彼はミカサが自分を愛してくれるのは「自発的」な行為ではなく、「アッカーマンの血の習性=ミカサにとっての逃れられない運命」によるものだと信じ込んだことです。ここにもやはり「運命」になど抵抗できないという諦めがある。そんなやさぐれた心が彼に「ずっとお前が嫌いだった」と呟かせ、ミカサを酷くなじらせるのです。

でも本当は心の底から愛している。でも彼女は「自発的」には自分の事を愛しておらず、自分はそんな彼女の為に殺戮の果てに「終末の光景」へと辿り着かなければならない。だからこそ、以下の言葉が口を突いて出てくるし、不幸なことにミカサも誤った答え方をしてしまう……。ここが決定的なすれ違いの発端だったことを後に彼女も認めています。

ミカサ……お前はどうしてオレのこと、気にかけてくれるんだ?

子供の頃、オレに助けられたからか? それとも……オレは家族だからか?

オレは……お前の何だ?

諫山創(2020)「進撃の巨人」 第31巻 講談社

『それでも個人は歴史を変える=運命を乗り越えることができる』

過ちを犯したエレンと、そんな彼を愛し続けた結果、命を奪う決断をしたミカサ。2人はそれぞれのやり方で運命に立ち向かい。2人の力で世界を変えました。それだけではない。先のアルミンや彼を助けたジーク、過去の巨人能力の継承者、心臓を捧げた幾多の調査兵団の兵士たち、etc……。個々人の意味や役割は小さくとも、彼らはまるでバトンタッチするかのように世界を未来へと紡ぎ続け、その結果は「歴史」になった。

個人の力は微細でも「意思」の力が集まることで大きなうねりとなり、「歴史=運命」を乗り越えいくことが出来る。今作で諫山さんはまさにその2の最後で引用したマキャベリの「天国へ行くのに最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知することである」の言葉通り、地獄への道をエレンと共に辿り続け、彼なりの「天国への道」を切り拓きました

そこで諫山さんが最終的に辿り着いたこと、それは「世界=歴史」とは小さな「物語=個人」の集積でできているというごく当たり前のことなのであろうと思います。

諫山創(2021)「進撃の巨人」 第34巻 講談社

『エレン……マフラーを巻いてくれてありがとう……』

壮大な今作を締めくくる最後の台詞は上記の言葉でした。当然、諫山さんとしては練りに練った言葉であるはずです。それがこんなにも素っ気ないものであった……。けれど、もし遙か遠いあの時にエレンがミカサの首にマフラーを巻かなければ、この物語は起こらなかった。個人の細やかな営みが世界を変えていくことを象徴した、まさにエンディングに相応しい言葉だったと思います。

諫山創(2021)「進撃の巨人」 第34巻 講談社

連載期間は実に10年以上、陳腐ですが諫山さんにはやっぱり「お疲れ様でした」と言いたくなりますね。誰しも人生の中に「この人とはずっとお付き合いしていこう」という作家が何人かいると思います。良い作品もあれば、悪い作品もあるけれど、その人が描き出す世界と人生につき合っていこう、そう思える作家が……。

個人的見解ですが、諫山さんって多分に中二病気質を感じさせる人です。そうでなければ世界の始まりから終わりまでを描こうなどという、壮大な(いい意味で馬鹿げた)夢なんて持たないと思います。中二病は多分に厄介なものでもありますが、同時に中二病にもなれない人間が「真」のクリエイターになど絶対なれっこない

ただし諫山さんが他の中二病と違うのは①徹底した自己否定を繰り返すこと、②理想を持ちつつも現実世界を直視する視点を併せ持とうとすることです。だからこそ複雑な「政治」やその集積である「歴史」をフィクションとして描くことができた。ということで内なる中二病を熱く宿したまま、「理想」を胸に、過酷な「現実」と切り結んだ次なる作品を期待しております。

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