個人は世界を変えられるのか? 「進撃の巨人」で諫山創が描いたもの ─ その4

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『政治の先へ、その集積である歴史を描く』

進撃の巨人」は全34巻を大きく分けると、3つのパートがあると思っています。まずは壁外の巨人に対しての反攻作戦とその失敗を描いた1巻から7巻まで。物語全体の掴み部分であり、少年漫画の王道とも言える展開なので『冒険編』と呼びましょう。

次の8巻からはグッと趣が変わり、これまでにも述べた、ただ武器を振りかざすのではなく、権謀術数渦巻く中、知力で戦う『政治編』へと移行していく。そしてエレンの実家、地下室の父の手記を読むことで世界の隠された真実を知り、さらにパラディ島に残った全ての巨人を駆逐することで、物語はひとまずの終焉を迎えます。これがちょうど22巻です。そのラストシーンでエレンらは「自由」の象徴として夢見ていた「海」へと辿り着きます。

物語は一端の終焉を越え、新たなる新章へ。それを象徴するカバーですね。

普通ならここで物語は幕引きされても良かった。しかし諫山さんの凄いところは結果として、ここまでが「序章」に過ぎなかったことです。この先の23巻から最終34巻までで諫山さんが描いたこと。それは「人間が持つ最も大きな業である戦争」と、それらを内包した「歴史」とは何か? です。

なので1〜7巻の『冒険編』、8巻〜22巻の『政治編』に続き、23巻以降は『歴史編』と呼ぶことにしましょう。それをまさに象徴する言葉が22巻の後半、進撃の巨人の継承者フクロウの口から語られます。

それができなければ繰り返すだけだ。

同じ歴史を、

同じ過ちを、

何度も……。

ミカサやアルミン、みんなを救いたいのなら、使命を全うしろ。

諫山創(2017)「進撃の巨人」 第22巻 講談社

『なぜ進撃の巨人は、時を超える能力を有するのか?』

22巻は物語全体の折り返し地点であり、23巻からは改めて怒濤の展開が巻き起こされていきます。そんな22巻の中、最も重要な事として、エレンが女王ヒストリア(ちなみにHistoriaとは歴史を指します)を介して、進撃の巨人の固有能力、すなわち「未来の能力継承者の記憶を見ることができる」=「未来を知ることができる」を発動させ、世界の終末の記憶を見たことが挙げられます

諫山創(2017)「進撃の巨人」 第22巻 講談社

やがてこの力は単に未来を知るのみならず、歴史改変をも可能にする能力だということが明らかにされていく。これはちょっと複雑なので以下にまとめます。

まずは他の巨人も等しく有する能力=能力継承を受けた前任者の「過去の記憶」を見ることができ、その記憶を辿り続けることで、何世代も前の継承者の記憶も見る事ができるが挙げられます。

次に②進撃の巨人が有する「未来の記憶」を見れる能力によって、過去から遠い先までの「歴史」全てが見通せてしまう

極めつけは③ユミルの民の記憶を自由に改竄できる「始祖の巨人の能力」をエレンが取り込んだことで、過去の能力者=グリシャに与える記憶を選別し、彼の行動を規定することで、その結果、未来を書き換えていくことができるというものです。

諫山創(2019)「進撃の巨人」 第30巻 講談社

僕が今作を読んでいて、途中まで不思議に思っていたのは、諫山さんがなぜ「エレン=進撃の巨人」にそんな能力を持たせたのかということでした。その力は他を圧倒しており、安易にそんな能力を扱えるようにしてしまうと、物語全体のバランスを大きく崩してしまうことになりかねない。

下手な作者だと、大風呂敷を広げすぎて伏線が回収できなくなったり、その逆で前後の辻褄が合わなくなった結果、時を改変できる能力でそのミスを取り消そうとします。そんな作品は最悪ですよね。

しかし全てを読み終わった現在、それは杞憂でした。諫山さんは物語上の必然として、その力をエレンに与えている。そもそも今作は一度読んだだけではその魅力が理解できない構造になっています。至ること所に緻密に張り巡らされた伏線と合わせて、何度も読み返すことができ、その度に印象が変わるようになっている

例えば最初に読んだ際は、エレンの他人を信用しない独善的なテロリスト的側面を強く感じることと思いますが、再度読み返すと、どれだけ足掻いても『終末の景色』へと連れて行かれてしまう、彼の絶望と悲壮感を強く感じるのではないでしょうか。

『歴史とは、逃れられない運命ではないのか?』

確かにエレンは過去に干渉することはできますが、己が見た、世界が滅ぶ『終末の光景』を変えることは出来ない。つまりこの『終末の光景とはエレンにとっては逃れられない「運命」のようなものです。「運命」とは人間の意志を超越して、どうにも変更しようのない未来のこと。エレンはそれに苦しみ続けました。

諫山創(2021)「進撃の巨人」 第34巻 講談社

先に僕は23巻以降は「歴史編」であると述べました。人は通常「新たな歴史=未来」は己の努力や意思で自由に創り上げていけると考えます。しかし本当にそうでしょうか? 「歴史は繰り返す」はローマの歴史家クルチュウス・ルーフスの言葉ですが、実際その通り、大同小異で同じような事柄が世界中で絶えず繰り返されています。

今作で諫山さんは「歴史とは、実は人類にとって逃れようのない、運命の集積ではないのか?」と感じ取ったのだと思います。そしてそれを描くために過去から未来へ、歴史を「実感」できる能力をエレンに与えた

愚かな人間は同じ過ちを繰り返す。その連鎖から抜け出すにはどうすれば良いのか? 言い換えればどうすれば人間は「運命」に打ち勝つことができるのか? これこそが当初になかった、「進撃の巨人」を描くうちに、諫山さんの中に新たに湧き起こってきたテーマだったのではないでしょうか

そしてそれを描くには今の日本=世界で当たり前とされている「正義」を一度、ことごとく否定する必要があった。エレンはそれらを体現するテロリスト(民主主義に従わない者)であり、誰よりも「自由」を渇望しながらも、同時に逃れられない『終末の景色=運命』によって縛られた、誰よりも「不自由」な者だったのです

その5へ続く

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