「呪い」の時代の「祝福」へ。ジョジョリオンとは何だったのか? ─  その2

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『今作のテーマ=等価交換』

本編のストーリー・ラインと直接は関係のない話ですが、東方常秀が遭遇するミラグロマンの回がありますよね。実は荒木さんはこれとほぼ同じ内容を前作『スティール・ボール・ラン』の中でも描いています。聖なる遺体を護る「シュガー・マウンテン」という少女のスタンド能力として。

彼女はジョニーとジャイロに金銀宝石に加え、遺体を差し出しますが、それら全てを日没までに使い切れと命じます。そうしなければ強制的に木の実へと姿を変えさせ、彼女の住む老木の中に永久に囚われの身にすると。

結果的に2人は金銀に加え、最も大切なこれまで手に入れた聖なる遺体全てを敵に差し出し、代わりに1本の安ワインと交換することで、このスタンドの「呪い」から逃れることに成功します。

荒木飛呂彦 (2017) 「STEEL BALL RUN ジョジョの奇妙な冒険 Part7」 第9巻 集英社文庫

一方、ミラグロマンの「呪い」とはその紙幣を手にした者がそれで買い物をすると、なぜか倍以上の金額となって戻ってきて、半永久的にお金が増殖し続けるというものです。これは一見、呪いではなく祝福であるように思えますが、実際には増え続ける紙幣に溺れ死にそうになり、何より人生における生きる目的が希薄化していきます。

それを避けるにはお金を使わないか、他人へこの「呪い」を移すしかない。つまり、あり過ぎる富は人間を不幸にするということを描いています。加えて、誰かの不幸と引き換えに手にした富は結果的にその人を不幸にする。僕はここに荒木さんの「この世界に共通する普遍の真理」とでも言うべき思想が垣間見えると思っています

荒木飛呂彦 (2016) 「ジョジョリオン」 第14巻 集英社

先の『スティール・ボール・ラン』、シュガー・マウンテンの章で描かれていることを分かりやすく紐解くと、仮にあなたが人生において100億円手にしたのなら、死ぬまでにその100億円を使い切る「義務」がある、そういう言うことです。ただ儲けるだけでは駄目だ。「資産」とはこの地上に生存するかりそめの間だけ「世界」から借りているものであり、だからこそ死ぬまでにそれは返さなければならない

これって多分にキリスト教的な考え方です。キリスト教、あるいはその起源となったユダヤ教でも、この世界は神のものであり、「富」とは神から「一時的に」与えられたものであると考える。この思想があるからこそビル・ゲイツやウォーレン・バフェットなど億万長者になった人々は多額の寄付をしたり、慈善事業に励むのです。

荒木さんは高校時代プロテスタント系のキリスト教学校に通っていたので、そこで得た教訓なのかもしれません。そしてここには人間とは所詮、この世界から一時的に「命」を借りているだけの存在であり、いずれそれは返さねばならない=死ぬという、「命と死の等価交換」の思想も息づいています

覚悟はいいか? オレはできてる

「等価交換」とは等しい価値を持つもの同士を相互に交換することですが、それ以上に万物の法則とも言うべきものです。この世界では無から有は作り出せない。分かりやすく言うと10カロリーのエネルギーを生み出すためには、必ず10カロリー分のエネルギーの元となる何かを消費しなければならないのです。

これは人生においても同様です。人は何かを得たいと願ったなら、同時に何かを差し出さなければならない。特に人生の岐路において、高い価値のある物事を得ようとするなら、それに見合うだけのリスクを冒す必要がある。そのリスクを「覚悟」をもって引き受けた者だけが、結果としての果実も得るのです

荒木飛呂彦 (2005) 「黄金の風 ジョジョの奇妙な冒険 Part5」 第33巻 集英社文庫

覚悟はいいか? オレはできてる」は第5部の重要なキャラクター、ブチャラティの名言ですが、この5部では「覚悟」という言葉が非常に多く出てきます。それは彼らがマフィアに属するギャングだからであり、命のやりとりが日常茶飯事だから。つまり究極的に「覚悟がある」とは、己の行動の責任として、己の命を差し出せると言うことなのです。

ジョジョシリーズの主人公たちは常に何かを得るために、命の危険を顧みず戦い、それらをくぐり抜けることで成長していきます。言い換えるなら、差し出すものがない=リスクを冒さない者に「成長」などあり得ない。実は荒木さんは第5部の「覚悟」や、スティール・ボール・ランにおける「光と影」、そして本編の「等価交換」など、使う言葉は異なるものの、毎回同じようなことを描き続けているのです

荒木飛呂彦 (2013) 「ジョジョリオン」 第5巻 集英社

等価交換で日本が得た、原子の力

その1で述べたように僕は今作で重要な出来事として3.11を挙げました。連載開始2ヶ月前に起こったあの悲劇に触発され、荒木さんは急遽、幾つかの設定&ストーリー変更を加え、それらに対する整理が成されないまま、見切り発車された結果、多くの伏線が回収されず、矛盾点も生じたのだと。それでは3.11の何が荒木さんを触発したのでしょう?

3.11とは天災であると同時に、実は「日本という国家が過去に犯した過ち=呪い」が引き起こした厄災という側面も大きく、端的に言えば原発問題が大きくクローズアップされました。日本は原子力発電を国のエネルギー政策の根幹のひとつに据え、震災前までは全エネルギーの約1/4を担っていました

確かに原子力はとんでもないエネルギー=繁栄を生み出しますが、核廃棄物や被曝、汚染の問題が残ります。それはまさに「穢れ」。本作で描かれているテーマのひとつ「等価交換」による利便性の獲得と引き換えに、日本人はとんでもない「呪い」を背負ってしまったのです

荒木飛呂彦 (2013) 「ジョジョリオン」 第5巻 集英社

一方、東方家とジョスター家(吉良家)の「呪い」はジョニィ・ジョースターがアメリカ政府から聖なる遺体を盗み、その力で妻である理那の病の治療した事による「等価交換」によってもたらされました。『ただの一度だけ……』ジョニィは祈り、遺体の力を用いました。けれど世界の理(ことわり)である「等価交換」はそれを許してはくれなかった……

聖なる遺体が象徴する力とはアメリカが開発した原子力であり、日本が受けた「呪い」の源とは経済発展の名の下にその力を受け入れてしまったことなのでしょう。世界唯一の原爆被爆国であるにも関わらず……。「光=繁栄」あるところに「影=呪い」があります。光は戦後の急速な経済発展へ。影は福島に見られる原発問題へそれぞれ落とし込まれました。

その3へ続く

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