「機動戦士ガンダム」は母殺しの物語である ─ その3

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『組織論を描いたガンダム』

当時、小学生だった僕らが「機動戦士ガンダム」で見せつけられたもの。それは「戦争」=戦いのリアルさに加えてもうひとつ、「組織」という複雑怪奇なものでした。これに関してはネットで検索すると幾つか本も出ているみたいなので、僕の口から詳しくは語りませんが、これはやはり「組織形成」に失敗して学生運動を挫折した、富野さんらの反省が含まれているのだと思います。

連邦軍というのはいわゆる「階級社会」ですが、ホワイトベース乗組員の面々はまだ少年少女であり、「軍隊=絶対的な組織」がどういうものか良く分かっていません。そんな彼らが与えられた階級=役割は「客寄せパンダ」でした。目立つが故に敵を引きつける「おとり」とさせられたのです

だからこそアムロに加え、ホワイトベースの面々も英雄として祭り上げられていく。しかし、それはレビル将軍を始めとする提督たちの冷徹で狡猾な戦略があった。

さらに彼らはジオン軍に押されっぱなしの厳しい戦況から、民衆や兵士の目を逸らさせるための「アイドル」としてもホワイトベースのみんなを利用しました。つまり二重の意味で彼らを生贄としたのです。「ニュータイプ」という摩訶不思議なドレスをまとわせて……

量産型モビルスーツ、ジムから「普通の会社員の幸せな働き方」について語るとありました。
こちらは各キャラクターの言動から、リーダーや管理職として学ぶべきポイントや、実社会で役立つスキルや考え方を解説するみたいです。

『政治とは何か?』

連邦軍は今の日本の政治に照らし合わせてみると右派的であり「現実的」な物の見方をします。上記で述べたようにまだ右も左も分からない少年少女らを「ニュータイプ」とアイドル化してパッケージングし、売り出していく。

そして連邦軍の兵士は提督らではなく、彼ら創り上げられた英雄を旗印に反抗を開始する。政治とは「現実を変えること」です。正しい or 正しくないを越えて、したたかで狡い大人たちは敗色濃厚だった戦況を一歩ずつひっくり返していくのです

「狡猾な大人=提督たちに囲まれるブライト」
機動戦士ガンダム(1979)日本サンライズ/松竹
「ホワイトベースはおとり部隊、
すなわち生贄になれと指示される」
機動戦士ガンダム(1979)日本サンライズ/松竹

一方、ジオン軍は左派的であり「理想主義」です。有名なギレン・ザビの演説を聴けば分かるとおり、彼らの言っていることは基本的に「正しい」です。しかし、正しかったにも関わらず負けた。それはなぜか? 実は「正しさ」とはとても恐ろしい。イエス・キリストの磔刑も中世の魔女裁判も全て「正しさ」の名も下に行われた。

富野さんらが経験した学生運動なら「内ゲバ」でしょう。「正しさ」を理由に何人もの同胞の命が失われていった。これは組織にとって不幸な共食いでしかない。そしてジオンを破滅に導いたのも壮絶な内ゲバ、すなわちギレンとキシリアの兄妹による権力争いでした。

「壮絶なる兄と妹の内ゲバ」
機動戦士ガンダム(1979)日本サンライズ/松竹

『理想主義者に戦いを挑むシャア=富野由悠季』

これらは富野さんの世代が経験した、学生運動の末路の再現です。彼らには理想があったし、それは正しかった。しかし「正しさ」を盲信し、狡猾な現実主義者たちにいいようにされ、何より青臭い自分たち自身に敗れた。だからこそアニメとは言え、この「機動戦士ガンダム」でも理想主義者らを勝たせてはならない。その崩壊の過程を描かなくてはならない。

「ガルマ殺害し、高笑いするシャア」
機動戦士ガンダム(1979)日本サンライズ/松竹

その理想を叩き潰す上で重要な役割を果たすのがシャア・アズナブルです。彼は父と母の敵(かたき)であったジオン公国の中枢であるザビ家、その5人のうちの2人、ガルマ・ザビとキシリア・ザビを殺害し、特に最後に生き残ったキシリアを殺すことで、戦争の幕引きを果たします。

僕は前に論じた「シェイプ・オブ・ウォーター」でも作者は必ず作品内のどこかに自分の身代わりとなるキャラクターを意識的だろうが無意識的だろうが紛れ込ませる、そう書きました。つまり「機動戦士ガンダム」において、富野由悠季さんの身代わりであり、真の主人公こそシャア・アズナブルなのだと思います

その4へ続く

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