個人は世界を変えられるのか? 「進撃の巨人」で諫山創が描いたもの ─ その3

『本当の政治の過酷さ』

エルヴィンは「己のたぎる欲望=この世界の真実を知りたいという圧倒的な知識欲」の遂行のために、「社会が求めるもの=巨人の秘密を解き明かし、その知識でもって彼らを駆逐すること」を利用します。つまり自身の願望と社会の欲求を一つにまとめ上げたのです。それがすなわち調査兵団のリーダーになることで率先して壁外へ出て行き、巨人と戦い、駆逐しながらも、この世界の秘密を知ろうとすることでした。

その中で徹底して「個人」として突っ走ったエレンとは異なり、彼は「政治=多数の人々」の力を利用しました。一般的に尊敬される社会的リーダーとは清廉潔白でモラルの高い、公明正大な人物であるべきとされています。しかし実情としてそんな人物が政治を行っては多くの負の結果を生んでしまうことでしょう。

政治とはその2で述べたように徹底的に現実的な物の見方を必要とし、時に冷酷非情な決断をせざるを得ません。それを理解したアルミンがエルヴィンを表したのが以下の言葉です。彼は最終的にはエルヴィン、ハンジの意思を受け継ぎ、調査兵団団長となります。

諫山創(2012)「進撃の巨人」 第7巻 講談社

結果を知った後で選択をするのは誰でもできる。後で「こうすべきだった」っていうことは簡単だ。でも…! 選択する前に結果を知ることはできないだろ?

中略

確かに団長は非情で悪い人かもしれない……。けど僕は…それでいいと思う。あらゆる展開を想定した結果、仲間の命が危うくなっても選ばなきゃいけない。100人の仲間の命と、壁の中の人類の命を。

団長は選んだ。

100人の仲間の命を切り捨てることを選んだ。

諫山創(2012)「進撃の巨人」 第7巻 講談社

素晴らしい……。そしてこの言葉が少年漫画誌から出てくることがもっと凄い。これこそがカルチャーによる真の教育です。僕は偉そうに上から目線で人を説教できる立場ではありませんが、それでも今の日本の全ての政治家に加え、それを評するマスコミの方々全員が腹の奥底に叩き込んで欲しい言葉です。

『決断と実行だけが、社会を変える』

いつだって「決断」するのは怖い。そこには「結果=責任」が伴うから。特に今の社会ならマスコミや幾多の同調圧力が執拗に責任を背負う人間の「決断と実行」を叩いてきます。けれどそれに怯える人間に「政治」などできやしない。なぜなら「政治」とは誰かを批判することではなく、「世界を変える」ことだから。

以下、アルミンの言葉は続きます。この時アルミンはその2で述べた、中世イタリアの思想家マキアヴェッリと完全に同じ視点に立っています。

大して長くも生きていないけど、確信してることがあるんだ……。何かを変えることのできる人間がいるとすれば、その人はきっと…大事なものを捨てることができる人だ。化け物をも凌ぐ必要に迫られたのなら、人間性をも捨て去ることができる人のことだ。

何も捨てることのできない人には、何も変えることはできないだろう。

諫山創(2012)「進撃の巨人」 第7巻 講談社
諫山創(2012)「進撃の巨人」 第7巻 講談社

しかしある意味、当然の事ながら人間性を捨て去り、部下達を欺き、無数の命を奪い続けてきたエルヴィンの心は罪の呵責に耐えきれず、崩壊しそうになっています。

……何度も……死んだ方が楽だと思った。それでも…父との夢が頭にチラつくんだ。そして今、手を伸ばせば届く所に答えがある。……すぐそこにあるんだ。

……だがリヴァイ、見えるか? 俺達の仲間が……。仲間達は俺らを見ている。捧げた心臓がどうなったか知りたいんだ。

諫山創(2016)「進撃の巨人」 第20巻 講談社

それを聞いたリヴァイは改めて自分たちが引き返すことなど許されない、「無垢」なる魂とはかけ離れた遠い場所まで来てしまったことを知ります。そしてそこまで「罪」を背負いこませてしまった友を「死」でもって解放しようとするのです。

お前はよく戦った。おかげで俺達はここまで辿り着くことができた……。

俺は選ぶぞ

夢を諦めて死んでくれ。新兵達を地獄に導け。「獣の巨人」は俺が仕留める。

諫山創(2016)「進撃の巨人」 第20巻 講談社

俺は選ぶぞ」は短く、シンプルな言葉ですが本作でも屈指の名文句です。リヴァイは「決断と実行」を旨とするまさに「政治」の魂によって、その言葉を己の内からひねり出し、エルヴィンに「死んでくれ」と告げます。唯一の友であるにもかかわらず……。それを聞いた彼の顔に浮かんだのは諦めと同時に安堵の入り交じった複雑な笑顔でした。ここの諫山さんの画力は凄いと思います。

己の欲望と社会の欲求を摺り合わせ、「政治」の力で世界と切り結んだエルヴィンでしたが、最後は自身の焼け付くような夢を叶えることなく、彼が死へと追いやった幾多の調査兵団の兵士同様、社会の使命のために「心臓を捧げること=死」を選びました。以下のシーンのセリフはこれまで冒し続けてきた罪の償いとして、部下に対してでなく、己自身に向けた言葉なのでしょう。しかし、その行いこそが次の社会を作るのです。

諫山創(2016)「進撃の巨人」 第20巻 講談社

『暴力の代償』

人間性を捨て去った多くの政治家が「暴力」を有することで精神のダークサイドに堕ち、二度と戻ってこれなくなるのは社会の常です。諫山さんはそこもきちんと公正に表現することも忘れていませんでした。それを体現するのがエルヴィンの後を継いで調査兵団団長になったハンジです。彼女は「政治家」エルヴィンと異なり、本質的に「科学者」です。

エルヴィンは時に非情になりきるという政治家が持つべき資質を有していました。しかし重要なのはそれを「裏の顔」として隠し持ちながらも同時に部下から尊敬され、絶対的に信頼されるという「表の顔」も有していたことです。これこそが真の政治の才能です

けれども科学者ハンジにその才はありません。だからこそ彼女は安易に「暴力」のみに頼ってしまう。「科学者=理性的」な彼女は真に有効な拷問は設計できても、政治の設計はできない。その代償としてハンジは拷問で口を割らせたサネスから、呪いとも言うべき決定的な言葉を投げかけられます。そのセリフは彼女にずっとまとわり続け、彼女の精神をさいなみ続けます。

……順番だ。

こういう役には順番がある。役を降りても…誰かがすぐに代わりを演じ始める。どうりでこの世からなくならねぇわけだ。

がんばれよ…ハンジ……。

諫山創(2014)「進撃の巨人」 第14巻 講談社
諫山創(2014)「進撃の巨人」 第14巻 講談社

だからこそ最後の最後、己が犠牲となって皆を救う覚悟を決めた際、彼女は嬉々として「私の番だ」と告げるのです。彼女もまた無意識にエルヴィンと同様、死に場所を求めていたことが分かります。それにしても諫山さんの伏線の張り方(実に7年越しですよ)はえげつない……。

わかるだろリヴァイ、ようやく来たって感じだ……。

私の番が。

今、最高にかっこつけたい気分なんだよ。

このまま行かせてくれ。

諫山創(2021)「進撃の巨人」 第33巻 講談社

それに対してリヴァイは人生の中でたった一度だけ、以下のセリフを口にし、死にゆくハンジへ捧げます。これまでに見せたことのない切なく悲しい目で……。物語の結末後も彼は最後まで彼女に縫い合わせてもらった顔の傷を矯正しようとしませんでした。「想い」があったんでしょうね……。

心臓を…… 捧げよ

諫山創(2021)「進撃の巨人」 第33巻 講談社

その4へ続く