「パンズ・ラビリンス」から「シェイプ・オブ・ウォーター」へ ─ その2

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『多用されるメタファー』

「シェイプ・オブ・ウォーター」において、これまでのデル・トロ作品との大きな違いを挙げるとメタファーの多用があります。パンフレットを読むと同じメキシコ人で盟友のイニャリトゥ(バードマンとレヴェナントで2年連続アカデミー受賞)が本作を観て、『まるで村上春樹の小説のように、ファンタジーの喜びそのもので、現実の中にも奇跡が存在することを教えてくれる』と述べたそうですが、これは村上作品のようにメタファーが多いことについての感想かもしれません。

ちなみにメタファーとは分かりやすく言うと「例え話」のことです。これについてはデル・トロ自身が語っているように、

「本作では、現代と似た社会情勢を抱える62年を舞台にして“おとぎ話”を語る。憎しみにあふれた時代だからこそ、愛の物語を描くことの重要さが増していくんだ。62年という舞台は現在のアメリカの鏡。でも、現在を舞台にしたら、政治討論が始まってしまう。だから『昔むかし…』とおとぎ話にすれば、みんな聴いてくれるというわけなんだ」

映画パンフレットより抜粋/取材・文=久保田和馬

そもそも作品全体が現代のメタファーとして作られています。日本人の僕らには分かりませんが、現在のアメリカにおける人種の分断は深刻で、過激な作品だと結果として、より人種間の闘争を煽ることにもなりかねない。だからこそ「おとぎ話」としたのでしょう。ちなみに翌年(つまり今年ですね)のアカデミーを獲った「グリーンブック」も、その流れに属した作品だと思います。

The Shape of Water (2017)
Bull Productions/Fox Searchlight Pictures

『社会と対峙したデル・トロ』

ここで僕が述べたいのは、デル・トロが本作を作り上げていく過程において、明確に「社会」を意識したということです。ここに自己の内面世界と徹底的に向き合った「パンズ・ラビリンス」との大きな違いがあります。彼はこの作品で社会に対して幾つかの挑戦を試みました。その「戦い」のためにもメタファーが必要だったのです。では彼は何と戦おうとしたのか? 大きく言って3つあると思います。

  1. 彼はメキシコ人であり、ドナルド・トランプに国境に壁を建てるから、もう向こうからは出てくるなと言われた人々の一員です。アメリカにおける人種差別と聞くと真っ先に思い浮かぶのはアフリカ系アメリカ人(黒人)に対してものかもしれませんが、それ以上に差別されているのが、ヒスパニック系の人たちです。アメリカは総人口における白人(ヨーロッパ系白人)比率が年々下がり続け、それに対し、増え続けているのがヒスパニック系であり、このままいけば、やがてアメリカの人口比率は①ヒスパニック系、②白人、③黒人の順となるでしょう。その潜在的恐怖が現在のアメリカを支配しており、その一端として②のヨーロッパ系白人に加え、実は③の黒人からも少なくない指示を得て、トランプは大統領に選ばれました。余談ですが、このアメリカ内での新たな人種差別を強烈に皮肉ったシーンがクエンティン・タランティーノの「ヘイトフル・エイト」のワンシーンにあります。あのタランティーノもついに社会派の作品を撮るようになったか、と観た当時は驚いたものです。
  2. 本作品は子供向けで低級とレッテルを貼られた「怪獣映画」というマイナーなジャンルを、社会に認めさせる戦いでもあります。むしろ制作動機として、本人的に一番大きかったのがこの部分でしょう。
  3. ハリウッドという商業映画の世界において、自由に作品を撮れる環境を手に入れること。今回、彼は比較的低予算ではありながらも、次々と新たな才能を発掘し、良質な作品を世に送り続けるFOXサーチライト・ピクチャーズ(制作・配給会社)という強力なパートナーを得ました。作家性を認めてくれる制作体制と、作品毎に綿密に練られる宣伝計画や賞レースへの対応。それらのバックアップを受け、キャリアを一歩先へと進める戦いでもありました。
The Hateful Eight (2015) The Weinstein Company/Shiny Penny/FilmColony/Double Feature Films/Visiona Romantica, Inc.
白人は黒人を差別し、黒人はヒスパニックを差別する。現在のアメリカの差別構造をスパッと描いたタランティーノの手腕が見事。

『何としても、怪獣映画でアカデミーを』

当時、ハリウッドで吹き荒れていた#MeTooに端を発したジェンダー問題。「シェイプ・オブ・ウォーター」も作風から、その流れに連なる作品であると当然ながら認知されました。しかし、それに対し、ある種の胡散臭さを感じた人もいたと思います。

デル・トロよ、お前までこんな映画を撮るのか? そんなにまでして、アカデミーが欲しいかい? でも、おそらくこの時のデル・トロならこう答えたと思います。「その通りだよ」と。

本人もFOXサーチライト・ピクチャーズも明確にアカデミー狙いで一本化していたと思います。異を唱える人もいるかもしれませんが、アカデミーなんてものは、明確に初期段階から戦略的に進めなければ獲れない、僕はそう思います。

しかし、仮にそうであったとしても先に引用したインタビューを読めば分かるとおり、デル・トロの真意は違います。彼が目指したのは政治討論に巻き込まれることなく、憎しみの世界において、愛を描くこと。すなわち分断ではなく融和へ。むしろ映画をいかにして政治文脈から切り離すかに腐心しました。だからこそのメタファーなのでしょう

『なぜ、性を描かなければならなかったのか?』

加えてもう1点、実はこの映画は非常に「性的」な作品です。冒頭のシーンで40才オーバーの独身女性イライザが、毎日マスタベーションを日課にしているという設定は言わずもがなですが、これ以外にもきちんと「性」を描くことで、頭でっかちで観念的な作品にならないようにしたかったのだと思います。

しかし僕はデル・トロ個人のパーソナリティーとして、直接的な性表現をガンガン撮れる人だとは思いません。それでも作家として、その領域に踏み込まなければならなかった。だからこそメタファーにすがったのでしょう。

実際、本作の舞台となった60年代初頭のアメリカの風俗状況を鑑みると、開けっぴろげな性生活が営まれるような社会ではありませんでした。そういう意味でもあえて、時代設定を62年に「チューニング」したのはデル・トロなりの自分のできることを踏まえた上でのクールな選択であったと思います。それでは具体例として、作品内で見られる「性のメタファー」を幾つか取り上げていきましょう。

  1. 冒頭の水底のシーンから洞窟へと入り、水中の廊下を進むと行き止まりの左手に主人公イライザの部屋が、右手にゲイのイラストレーター、ジャイルズの部屋があります。この左右の対比カットはその後も何カ所かで見られ、この2人が対になる存在だと暗示しています。本作の主人公はイライザであり、彼女が愛する伴侶を得るまでを描いた映画であると言えますが、実はジャイルズが本当のパートナーを得るまでの話だとも思っています。これについては後に述べます。
  2. 不思議な事にイライザは部屋にベッドがあるにも関わらず、いつもカウチで寝ていますよね。一方のジャイルズはベッドで寝てはいるものの、起きると部屋の片隅に畳んで隠してしまいます。ここでの「ベッド」とは性生活のメタファーなのだと思います。イライザには現在それがなく、ジャイルズはゲイというセクシャリティを隠して生きている。それがベッドによって暗示されています。
  3. 分かりやすいのが「卵」です。これはまさに「性欲」を表しています。いつも茹でられ、弾けそうになっているのに「殻」のせいでそうならない。高まりはするものの行き場のないこの欲求をイライザはマスタベーションでやり過ごしています。彼女がいつも卵を茹でながらマスタベーションするのはそういう意味です。また卵により、イライザと半魚人はコミュニケーションを育んでいきます。卵はイライザが一人の時には決して殻が破られることがありません。彼女は半魚人の前でだけ「殻」を破り、中にある物を貪るのです。2人で一緒に……。初めて半魚人の前で卵を割り、中身を頬ばろうとするイライザの一連の仕草はエロティックであり、完全にセックスの表現となっています。
  4. 赤い靴、これはアンデルセンの童話にもあるように女性の「性欲」を象徴しているのだと思います。ラストシーンで片足だけが脱げ、水底へと落ちていくのが印象的でした。
  5. 赤い光、この映画の中では先の靴と同様、全般において「赤」は「愛」の象徴として、様々な場面で出てきます。イライザが半魚人の彼を想う時は赤いライトが流れ、彼と結ばれた後は赤い服を着るようになります。
  6. 大きなロケットエンジンが出てくる箇所がありますよね。DVDだと9分過ぎから、大きな穴の内部に宙づりにされたエンジンをイライザとゼルダが掃除しながら、男共に文句を並べています。この穴に挿入されたロケットとはまぎれもなく男根の象徴であり、この時代の肥大した男たちの暴力性を表しています
  7. 断酒は続いているか?」これはジャイルズが昔勤めていた広告代理店の上司へイラストを納品しに行った時に彼から言われた言葉です。「一滴も飲んでいない」ジャイルズは慌てて答えます。これは上司もまたゲイであり、ジャイルズと昔、性的な関係にあったことを示唆しています。
  8. ストリックランドの指。これは紛れもなく「ペニス」の象徴です。それは妻の口を塞ぎ、言葉を発せなくするばかりか、ソ連のスパイだったホフステトラーに対しては、銃弾で開けられた頬の穴や腹部の銃創にまで差し込まれ、中をかき回すのです。これは明らかにレイプです。
The Shape of Water (2017)
Bull Productions/Fox Searchlight Pictures
The Shape of Water (2017)
Bull Productions/Fox Searchlight Pictures
The Shape of Water (2017)
Bull Productions/Fox Searchlight Pictures

『勝利の果てに』

僕がデル・トロの作品で魅力的だと思っているのは「有機的でドロドロ」した世界観やキャラクター、そしてモンスターたちです。しかし本作ではアカデミー獲得へ向けて、これらがかなりクリーンに「チューニング」されてしまいました。

しかし、その代わりと言ってはなんですが、「性」という有機的でドロドロしたものがメタファーとして織り交ぜられた。そこが彼なりのバランス感覚なのでしょう。

そして、結果としてはご存じの通り、アカデミー賞4部門獲得に加え、その後、FOXサーチライト・ピクチャーズと専属契約を結び、新たに設立が予定されているレーベルで、ホラーやSF、ファンタジーなど自分が撮りたい作品を存分に作っていけることとなりました。彼は戦い、そして勝ったのです。

その3へ続く

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