「ミッドサマー」が描く、理想主義の限界 ─ その1

『多幸感溢れるドラッグムービー』

アリ・アスター監督の最新作『ミッドサマー』はホラー映画と定義されています。けれど僕が特殊なのだと思いますが一秒たりとも怖いとか、目を背けたくなるというシーンはありませんでした。代わりに感じたのが幸せ〜っという多幸感。観ている間中、本当に気持ちよかったです。

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あの印象的なシーン、天地が180度反転してホルガ村へ入っていくカットから、身体がずっとホワホワしていました。そしてエンディングのカタルシス。『パラサイト 半地下の家族』も素晴らしかったですが、それを超えて個人的には2020年、No.1ムービーかなと思いました。理屈じゃありません。観るドラッグ、そんな最高の映画です。

引きの構図を利用した独特なカメラーワーク。露出高めで白と黄色が協調されたカラーコーディネイト。意識をひっかくような音使い。アリ・アスター監督のこだわりが細部にまで詰め込められた精緻な工芸品のような映画です。

特に印象に残るのが中心に吸い込まれていくようなシンメトリーな構図の多様ですね。遠近感も利用して「観る人を引き込む」ような仕掛けになっている。まさに人を異次元へと誘うビジュアル・ドラッグに他なりません。

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『己の恥部をさらけ出すということ』

本作品には2つの階層があります。ひとつはアリ・アスター監督の極めて個人的な心的表現。これは様々なインタビューで述べられています。端的に言うと己を捨てた恋人に対する復讐ですね。つまり監督=主人公ダニーと言うわけです。これは結構分かりやすい部分なので多くは語りません。

ただこの人の凄いところはそれを包み隠さず、画面に定着して見せたことです。冷静に考えてください。自分を捨てた女への恨み辛みをこんなグロい映画に変換するんですよ。けれど個人的な部分を深く掘れば掘るほど、実のところ、その作品は多くの人と共感し合えるものになる。彼の作品がこれほどグロテスクなのにも関わらず、世界中から受けいれられる理由のひとつは徹底した映画内における自己開示、これに他ならないと思います。

パンフレットを読むと映画評論家、町山智浩さんが書かれたコラムでは、彼が注目を集めるきっかけとなった短編映画『ジョンソン家についての奇妙な事』では男の子が己の父親に性的欲望を抱き、その結果、自分の性奴隷にしてしまうそうです。凄い話ですよね……。

僕も含めて男というのはどうしても自意識が強く、例え作品内であっても無意識に格好をつけようとするものだと思います。やはりキャラクターは自己の投影だと解釈されてしまいますからね。しかし彼にはそんな羞恥心とでも呼ぶべきものが見受けられません。いい意味でこの人はそのネジがぶっ壊れている。

Hereditary (2018) A24
自己救済が徹底した前作品、彼の作品の特徴はその救済が

徹底して反社会的な形を取ることです。

『主人公ダニーとは何者なのか?』

そしてふたつめの階層、これは監督のトラウマを引き起こし、個人的な心的表現に向かわせるきっかけとなった「社会そのもの」についてです。優れたアーティストとは今、己が生きている世界の実情を正確に描き、あぶり出します。この現代社会を反映した第2階層が大問題なのです。

まずは本作の主人公ダニーを見てみましょう。彼女は未成熟な存在です。他人に強く依存する人間であり、恋人であるクリスチャンに己の全てを受け入れ、理解して欲しいと願っている。けれど、それがウザい行為であることも分かっていて、何とかそれを押さえつけているのが現状です。

また彼女の体型はかなりポッチャリで、言い方を変えると締まりのない身体をしています。これは今作において他のホルガ村を訪れたアメリカやイギリス人の仲間らと比べると対照的です。恋人であるクリスチャンや黒人のジョシュはマッチョで明らかに鍛えている身体、それ以外の皆も明らかに通常よりほっそりしています。

けれどダニーだけは違う。でも彼女を演じるフローレンス・ピューをネットで検索してみると確かにふっくら気味ではあるものの、ここまで太くはありません。完璧主義者のアリ・アスター監督のことです。これは明らかに体重を増やすよう彼女に指示して、あえて太らせたのだと思います。それはやはり自己を統御できない弱い人間として彼女を描きたかったからでしょう。

けれど彼女は特殊な性格か? そんなことはないと思います。僕の周りを見渡しても必ず一定数はいるタイプです。今作においてはむしろ彼女こそが普通の存在であり、クリスチャンを始めとする学生らの方が特殊です。知力も高く、他者より抜け出た存在であり、インタビューにおける監督の言葉を借りれば、自己中心的でキャリア至上主義の個人主義者たちです

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『恋人クリスチャンとは何者か?』

まず名前から分かりやすいのが「クリスチャン=キリスト教徒」ということです。これは現代の西洋社会を支配する根本的な価値観を現していますだからこそ彼は鬱陶しいと思っているダニーに対しても、彼女の痛ましい背景を知っているだけに突き放すことができません。けれど心は既に彼女になく、誕生日すら覚えていない。結果ダニーはますます傷ついていきます。いい人を「演じて」はいるけれど本質的にはエゴイスト。

これは監督を捨てた女性を象徴すると同時に、現在の世界に広く蔓延する「理想主義=リベラリズム」の欺瞞を表現しているのだと思います。

理想主義の欺瞞、これに対して最も分かりやすい例が現在のアメリカ大統領ドナルド・トランプです。彼は世界中からフェイクニュースの王として非難を受ける的となっています。けれど彼は近年において最も「結果」を残した大統領でもあります。

一方、生粋の「理想主義者=リベラリスト」であった前大統領バラク・オバマ(ノーベル平和賞受賞)はどうだったのでしょう。確かに彼は高尚な理念と崇高な理想を持っていました。けれど現実を見ようとしなかった。行った政策の殆どはアメリカを衰退へと導くばかりか世界を混乱に陥れました。

『分断の予兆』

今、世界はグローバリズム(国を超えて地球全体を一つの共同体としてとらえる考え方)が衰退し、代わってナショナリズム(国または民族の統一や発展を推し進めることを強調する考え方)が優勢となっています。これを分かりやすく言うとみんなの幸せより、まずは自分の幸せを最優先するということ。これにより様々な「分断」が明確になってきています。

これをマスコミを中心とする「理想主義者たち=リベラリスト」は盛んに非難しますが、それは彼らが撒いた種が実を結んだ結果だということ。確かに彼らの言うことは「正しい」です。けれどその「正しさ」を追求した結果、様々な問題が生じ、人々は「分断」へと舵を切ったのです

この『ミッドサマー』で描かれていることは、現代社会の基準から見ると明らかに「間違って」います。そういう意味では世界は今「間違った」方へ向かっているのかもしれない。けれどその「間違った」という基準を勝手に設定したのは他でもない「クリスチャン=理想主義で世界を創ろうとした者たち」なのです。

アリ・アスター監督は壮絶な自己体験を経て「お前らのやり方では、俺は救われないんだ!」と毎回社会に倒して壮絶な「No!」を突きつけている。そしてその作品は僕らを魅了し続けています。要するに僕ら(何よりもアメリカ人)は「正しさ」に疲れているのでしょう

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『焼かれるクリスチャン=現代的価値観』

何よりフェイクだ! ヘイトだ! とトランプを煽るリベラル陣営だって彼と同様、何の裏付けもないフェイクニュースをばらまいており、もはや情報戦争と言っていい状態です。右と左、どっちが正しいかじゃなく、彼らは結局のところ同じコインの表と裏です。なぜならどちらも人々に「分断」を強いているのは変わりないことなのですから……

正しさ」の限界と息苦しさ、そして何より本質的に人は「正しさ」では救われないという真実。アリ・アスター監督は本作内でそれを明確にあぶり出し、お前らにはこれがお似合いだとホルガ村を訪れた現代人どもの皮を剥ぎ、溺死させ、背中の骨を外して吊し、あげく「クリスチャン=現代的価値観」を原始宗教(ペイガン)の象徴である熊の生皮に包んだあげく、焼き殺したのです。

その2へ続く