新たなる世界への神話、「マッドマックス 怒りのデスロード」 ─ その1

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『歴史が変わる瞬間、そこに立ち会えた喜び』

僕はこれまでの人生の中で、リアルタイムでちょっとだけでも、歴史を変える何かが目の前で繰り広げられている、そう感じたのが何度かあります。 カルチャー的なものに絞ると3回かな。まずは小さい時に見た「スターウォーズ」のオープニング場面。

あのお決まりの白いゴシック文字が背景の宇宙空間に流れていった時、もう約40年も昔の話ですか……。当時お子ちゃまだった僕は映画館の中で全身総毛立ちました。

Star Wars (1977) 20th Century-Fox

お次は広島の平和記念コンサート、まだデビューしたてのドリカムです。吉田美和が緊張で声が上ずりながらも(どうしようもないぐらいガチガチで、見ているこっちも胃がキリキリした)、彼女の歌う曲を聴いた時、こりゃ何かとんでもないぞ、と高校生だった僕は思ったものでした。

そして3度目がこの「マッドマックス 怒りのデスロード」になります。見終わった後は陳腐な表現ですが頭の中が真っ白になり、それで結局は映画館に計6回足を運びました。これはマニアの方なら「少ないぞ、最低8回は見に行け」とおっしゃるでしょうし、未見の方なら「馬鹿じゃないの?」そう思われることでしょう。ちなみになぜ最低でも8回なのか? これは一度、映画を見ていただければ分かります。

Mad Max: Fury Road (2015) Warner Bros.

まだ、この世紀に残る大傑作映画をご覧になられていない方がいるのなら、まずは一度、最後まで観てくれませんか。そこはまさにMAD MAX(最高にとち狂った)な世紀末の地球。暴力と破壊と死が渦巻き、バイオレントな日常がド派手なアクションで繰り広げられています。

こう聞くと女性の方はドン引きされるかもしれませんがご安心を。なぜならこの映画は見出しにもあるように、まさに今後の世界を生きる「女性たちに向けた神話」でもあるからです。むしろ男性より女性が観るべき映画、そう言って良いかもしれません。

実際、映画館に足を運んだ方ならおわかりだと思いますが、女性でもマニア的に複数回、観に来ている方も多かったですし、僕自身、日曜最終回のシネマサンシャイン平和島にて、眼鏡を掛けた可愛らしい女性が、一人でこの映画を見にきていて、嗚咽&号泣していた現場に遭遇したこともあります。

『神話とは何か?』

心理学者、河合隼雄さんのお言葉を借りるなら「神話」とはある「共同体(国という大きなものから、数人の小さなグループまで)」において、そのグループの「成り立ち」を語ることによって、その共同体の基盤(共通認識や文化の源流)となって、そのグループを支える「物語」のことです

これを書いている2019年現在、世界中で神話創りが始まっています。

我が国、日本もそうですよね。新元号「令和」において安倍晋三首相はこの国の固有性と起源性に着目し、それをベースに民族の団結を意図して、これまで通りの中国の古典を出典とするのではなく、日本の古典「万葉集」を由来とした元号を採用しました。実際、わが日本は2,500年以上もの昔、まさに「神話」の時代から天皇制を引き継いできた国でもあります。

一方、お隣の韓国では文在寅大統領が韓国国民が自尊心を得るための新たな歴史を書き上げようとし、その向こうの中国は華夷思想(世界の文化の中心は中国である)の復興を連想させる、一帯一路政策を掲げています。

「神話」とは尊いものであると同時に、時として諸刃の剣ともなります。「マッドマックス 怒りのデスロード」とは最大の敵となる大ボス「イモータン・ジョー(不死身のジョー)」が描いた「神話」に、シャーリーズ・セロン演じる「フュリオサ」を始めとする【女性たち】が立ち向かい、結果として彼女たち自身の新たな「神話」を描いていく物語であり、そんな中、主人公マックスを始めとする僕ら男どもが今後の世界をどう生きていけばよいのか、を示唆した、【男たち】への「神話」でもあります。

2015年の公開から年月も経ち、ネット等で様々に語り尽くされた感もありますが、これからの世界を生きていくためのひとつの教科書として、今こそ、この「現代の神話」をご紹介したいと思います。

その2へ続く

Abbie Bernstein (著)/矢口 誠 (訳) (2015)
「マッドマックス 怒りのデス・ロード: COMICS & INSPIRED ARTISTS」玄光社
本作のメイキングブック。ストーリーボードを元に、どうアイデアを具現化していったのか詳細が分かります。

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