『感情こそ、世界を動かす原動力である』
これを書いているのは2024年10月ですが、ちょうどアニメ公開の時期と重なったこともあって、ずっと書こうと思っていた今作『チ。—地球の運動について—』を題材に選ばせて貰いました。それに伴い全巻再読したところ、初読時に感じた「熱量」が再び甦ってきました。
これに連なる前作かつ魚豊さんのデビュー作、100m競争に己の全てをかけるランナーたちを描いた『ひゃくえむ。』もそうですが、とにかく彼の作品は熱い熱い……。その熱さは現代の様々なクリエーターの中でも群を抜いて突出している。これこそ魚豊さんの大きな個性であり、「熱い=かっこ悪い」なんて、この人の辞書にはないのでしょう。

魚豊さんのデビュー作、今作と変わらない「熱い」テーマが貫かれています。
この「熱さ」の根源は彼の作品が常に「感情」へ矛先を向け、描かれているからに他ならない。以下は今作『チ。—地球の運動について—』で受賞した「手塚治虫文化賞」のインタビューの抜粋です。
朝日新聞デジタル(2022年4月25日)
手塚先生は“キャラクター(記号)”と“物語(意味)”という2つの魅力を繫ぎ合わせ、豊穣な漫画文化の発展と、慧眼な社会批評を繰り出した。なんて話をどこかで聞いて、私はその大仕事に畏敬を感じるばかりでした。
ですが、そのような批評的視座以前に、私の様な未熟者が学生時代に感じた先生の最大の魅力は人の、個人の心を動かす“感情”でした。
この3つ目の魅力は、漫画において表現技法やストーリーテリングに先立つものだと信じてます。それ故に最も素朴で、最も前提で、最も困難で、最も重要なものだとも信じています。
そして、手塚漫画はそこに立脚された作品だから、偉大な歴史でありながら、身近な現在でもあるのだと思います。
恐れ多いですが私も、この先人のその背中に憧れたいと思います。
どんな結果も、まずは引き金となる「動機」に加え、それを実行に移す「何か=熱量」が必要である。それは理性や損得を越えたものであり、最も近い言葉はやはり「感情」なのでしょう。
今作、『チ。—地球の運動について—』はその視点から見ると【感情】の最上位たる【感動】のリレーを描いた物語だと言えます。
「多分、感動は寿命の長さより大切なものだと思う。—だからこの場は、僕の命にかえてでも、この感動を生き残らす」
『チ。―地球の運動について―』第1巻 (BIG SPIRITS COMICS)
「それは俺が地動説の意味を知った時、多分、感動したからです」
〜中略〜
「つまり俺は、ちょっと前までは早く地球(ここ)を出て、天国へ行きたかったけど、今はこの地球(かんどう)を守る為に地獄へ行ける」

中でも理性の権化、バデーニが己の人生が詰まった、精緻で『知性的』な研究論文でなく、オクジーの稚拙でありながら、地動説に触れた『感動』が詰まった文章の方を選び、後世に託したシーンは象徴的でした。
「復元されるのは君の文章だ」
『チ。―地球の運動について―』第5巻 (BIG SPIRITS COMICS)
〜中略〜
「君の文章は論文としての価値はない。—が、それ故、伝わる可能性は高いだろう」
「伝わる? 何が……?」
「感動だ。それさえ、残せれば、後は自然と立ち上がる」

そして、「感動」はヨレンタに受け継がれました。
「あなたの読んだ地動説を覗き込むと、神の偉業が見えてくる」
『チ。―地球の運動について―』第7巻 (BIG SPIRITS COMICS)
「そうですか。で、だから? 申し訳ないですけど、それ、なんの話ですか?」
「わからない? 私の感動を、必死に伝えてる」
紡がれ続けた「感動」はやがて「歴史」となっていく。それこそが今作で魚豊さんが最も描きたかったことなのでしょう。
『100mだけ誰よりも速ければ、どんな問題も解決する』
上記は前作『ひゃくえむ。』を最も象徴するパンチラインとも言うべき名台詞です。ただの駆けっこでしかない、わずか10秒以内で決着が付いてしまう100m競争。しかも肉体的ハンディキャップのある日本人は少なくとも「世界」の場では戦えない。しかし、そんな場所にそれぞれの「想い」を持って立ち続けるランナーたち。
たかが駆けっこに己の全てをかける。その馬鹿馬鹿しさに内心みんな気付いている。だからこそ彼らは「僕らは一体、何の為に走ってるんだ?」と自問自答する。けれどその苦しみ、足掻く様が読者を熱くさせる。みんな分かってる。生きることに絶対的な意味=答えなんて多分ない。

そんな馬鹿馬鹿しい人生に対する最高の復讐は、己が欲する【欲望の震源】を見極め、それにこだわり抜くこと。前作の主人公らが没頭するのは「たかが駆けっこ」であり、今作では「地球が動いているのか? それとも天が動いているか?」という普通の人々にとってはどうでもいいつまらない物事です。
加えて新装版の『ひゃくえむ。』に追加収録されたデビューのきっかけとなる『佳作』では才能の無いテニス選手が、テニスとは一球多く、相手の陣地に打ち返した者が勝者になる、という真理に気付き、才能ある敵選手の球をただただ打ち返し続けるというストーリーでした。


そういう意味では根源となるテーマについて魚豊さんは実に一貫している。それは「人はなぜ生きるのか?」というシンプルかつ哲学的なもの。今回調べたところ、実際に彼は大学で哲学を学んでいたそうですが、さもありなんです。
「人はなぜ生きるのか?」という哲学的テーマを、①ある時は100m競争に、②ある時はテニスの延々と続くラリーに、③そして今作では地動説を信じ抜こうとする人々に。いずれも普通の人なら「しょうもない」と思うような物事に置き換え、その空しさと、それ故にこだわることの素晴らしさを描き続け、毎回着実なアップデートを果たしています。
デビュー作『ひゃくえむ。』から今作『チ。—地球の運動について—』で「人はなぜ生きるのか?」という通底するテーマに加え、魚豊さんが新たに挑んだのが「知性と暴力」でした。それは彼自身の言葉で述べられています。
知性と暴力について描きたいと考えている中で、ぴたりと当てはまったのが中世ヨーロッパの地動説を巡る話でした。作中では、科学が知性で宗教が暴力を象徴しているように見えますが、その逆の宗教が知性的で、科学が暴力的という場面もあります。科学は宗教を否定しているわけではないし、むしろ地動説を支持する側がカルト的な集団です。そういう複雑さを描きました。
中日新聞(2022年10月19日)
ちなみにこの「知性と暴力の融合」を素晴らしく表現したカットがあります。コミック第1巻の表紙です。初見時にはよく分からなかったのですが、通読した後なら分かります。最終巻に現れる青年となったラファウが死刑として首をくくられ、縄=暴力で宙づりにされながらも、アストロラーベで天体の観測=知の探求を続けるという、とんでもないカットです。

完読した後にこの意味に気付いて鳥肌が立ちました。つまり魚豊さんは初めの段階で完璧にラストまで、設計図を描いていたという事ですよね。
加えて、個人的にこりゃ凄ぇと唸ったのが、これから詳しく述べますが、今作における「知性と暴力」を探求する中で彼自身が見い出した「神」とは本当に存在するのか? するのなら、どんな存在であるのか? という問いに対する、大胆で突拍子もなく斬新な答えです。
その2へ続く