「あみ子」から「あひる」へ、 今村夏子の戦ったもの ─ その3【完】
『崩壊の予兆』 物語が決定的な転調を見せるのが、子供たちの誕生会だということで母に家を追い出された「わたし」が、バスで三十分もかかる喫茶店へと繰り出し、そこで試験勉強しようとするも、どうしようもなく眠気に襲われるシーンで...
『崩壊の予兆』 物語が決定的な転調を見せるのが、子供たちの誕生会だということで母に家を追い出された「わたし」が、バスで三十分もかかる喫茶店へと繰り出し、そこで試験勉強しようとするも、どうしようもなく眠気に襲われるシーンで...
『あみ子の先へ』 先に書いた『こちらあみ子』の評論で、僕はあみ子とはある種の「システム」であると述べました。システムとは【全体を統一する仕組みや方式】であり、まるで意思があるかのように自立的な運動を行います。前作において...
『5年後の再スタート』 日本文学史に残るであろう大傑作『こちらあみ子』を発表した今村夏子さんはその後、約5年間沈黙しました。これは仕方のないことだと思います。前に書いたあみこの評論でも述べましたが、あんなとんでもない作品...