「メリーに首ったけ」が描く、あの世という名のワンダーランド ─ その1

『あの世にヴィーナスを閉じ込める男たち』

今回、取り上げるのは日本では1999年公開、ピーターとボビーのファレリー兄弟監督&脚本の「メリーに首ったけ(原題:There’s Something About Mary)」です。コメディ映画の流れを変えた歴史に残る作品で、これ以降、下品な下ネタを詰め込んだ映画が数多く撮られることとなりました。

There’s Something About Mary (1998) 20th Century Fox
本作でキャメロン・ディアスは一躍スターへ。
このビジュアルも映画史に残るアイコンに

また例のヘアジェル(分からない人は【ヘアジェル/メリーに首ったけ】で検索)のカット一発でキャメロン・ディアスはスターダムに昇り詰め、そのシーンは映画史に残るアイコンとなりました。今年、兄のピーターが「グリーン・ブック」でアカデミー作品賞を受賞しましたが、あの下ネタ満載の「メリーに首ったけ」を撮った人が? と驚愕したものです。

There’s Something About Mary (1998) 20th Century Fox

今回、この作品を取り上げることになったのは全くの偶然です。この前に書いたギレルモ・デル・トロに関しての一連の文章の中で、彼のキャリアにおいて重要なターニングポイントとなった「シェイプ・オブ・ウォーター」の中で大きな役割を果たし、今後も創作上のパートナーとなる、FOXサーチライト・ピクチャーズについて調べていた時に、たまたま辿り着いた記事が発端です。

FOXのセールス・シニア・マネージャーの平山義成さんに対するインタビュー記事で、まずはそのまま引用させていただきますね。

実は自分がFOXに入るきっかけは『メリーに首ったけ』だったんです。前務めていた映画会社にいたとき、どうしてもあの映画がみたくて無理言って試写に入れてもらったりしたんです(笑)
とにかく冒頭から笑いっぱなしで、映画館全員のお客さんが笑ってる醍醐味というのをこの映画で知りました。
これは自論なんですが、いい映画って、ベースにあるのは作り手にとっての何らかのトラウマだと思ってるんです。
あとで調べてみると『メリーに首ったけ』にも、ファレリー兄弟の周りにメリーのモデルになったような魅力的な子がいたらしいんです。そしてその子は交通事故か何かで亡くなってるんです。その子のことを頭において脚本を書いてるらしいんです。だから何かしらの想いを感じるんですよね。コメディであるんだけど、不思議なリアリティがどっかあるんですよね。

cuemovie/海外映画を配給するFOXサーチライト 平山義成さん より

これを読んだ時、ハタと膝を打ちました。あぁ、そうだったのか!と。僕が初めてこの映画を観たのはもう何十年も前の話ですが今でも覚えています。とにかくお馬鹿で楽しい映画だったのはもちろんのこと、主演のキャメロン・ディアスが滅茶苦茶キュート(個人的にショートカットの女性が好みなんです)だったのに加え、強烈に感じたある違和感を……。

『幽霊となったファレリー兄姉』

その違和感とは映画の最初と最後に出てくる男性デュオでした。ギターを弾きながら歌う男と、その横でテケテケとドラムを叩く、これまたさえない感じの2人組。僕は映画初見時、これはファレリー兄弟本人たちがやっているものだとばかり思っていました。ギターを弾きながら歌うのが、映画制作においても前面に立つ兄のピーター、ドラムを叩いているのがその兄をバックアップする弟ボビーなのだと。

There’s Something About Mary (1998) 20th Century Fox

しかし調べてみると違うらしい。でも間違いなくこの二人は作者である彼らが己を投影した姿で間違いないと確信していました。映画は彼らの歌から始まり、ラストシーンでも最初と同様、彼らの歌(オープニングと同じ曲)で終わります。ちなみに曲の歌詞はこんな感じでした。

友達はあいつに言ったとさ メソメソすんなよ かなわぬ恋は諦めな
ほかにも女はいるんだよ いろんな娘(こ)とデートしてみろよ
でもメリーでなくちゃ どうしてもダメなんだ メリー、だってメリーには何かがあるんだ

友達は言ったとさ 人生はおとぎ話じゃない
苦しむのはやめて気分転換しろよ ビールの銘柄にはくわしい連中でも
愛のことなんか分かっちゃいない あいつは夢を追い過去に生きてるって
恋も知らないやつらが言う いったい何が分かるんだ
友達は言う やめておけ ムリな女は追うなって

でもメリーでなくちゃ どうしてもダメなんだ メリー、だってメリーには何かがあるんだ

Jonathan Richman (1998)There’s Something About Mary (Soundtrack) 

映画のオープニングとエンディングを担う以上、重要な存在であるのは間違いないんです。では、なぜ彼らは己を投影するキャラをこんなにも歪な形にして、ストーリーに入れ込んだのか? ちなみにこの2人は映画のストーリーには全く関与しません。

時々、出てきては歌うだけ。彼らは映画内の登場人物たちから、その存在を一切気づかれることなく無視されている、まるで幽霊のようなキャラクターです。

では、なぜ彼らは幽霊としてでしか、この映画内の世界に存在できないのか? ここにどんなメッセージがあるのか? よく分からないまま月日は過ぎました。そして平山さんのインタビュー記事です。なるほどそうか!

これはファレリー兄弟が亡霊となって、この世を彷徨う話ではなく、全くの逆。つまり彼らが黄泉の国に行って、そこで現世ではもう会えないメリー(実際にはそのモデルとなった女性)と再会し、彼女を幸せにしようとした映画なんだと気づきました。だからこそ、あのオープニングとエンディングなのかと。

『さぁ、彼女の待つ、向こう側の世界へ』

この映画のファーストカットは木の上に腰掛けた彼ら2人が歌っているシーンから始まります。そのままカメラは樹上から下の世界へと下りていく。これって通常は天使や亡霊が現世に下りていく際の表現なんですが、先に述べたように逆です。

彼らは現世から離れ、メリーがいる黄泉の国へと下りていくんです。しかし生身の人間は死者の国に長く留まることは許されない。だから、彼ら2人はラストシーンで黄泉の国の住人であるお爺さんに銃で撃たれ、強制的に現世へと退去させられてしまう。

There’s Something About Mary (1998) 20th Century Fox
There’s Something About Mary (1998) 20th Century Fox

この作品の原題は「There’s Something About Mary」ですが、これは歌詞の中にもあるように「メリーには何かがあるんだ」という意味です。その「何か」に惹かれ、男共は街灯に群がる蛾のように彼女に引き寄せられていく。と言うか、この話の中ではメリー以外まっとうな人間がひとりもいない。

変態な男どもの妄想に翻弄されつつ、その結果、彼女はより輝きを増し、魅力的な存在になっていく。これこそが下ネタ満載のコメディー映画の裏に隠された、ファレリー兄弟が真に描きたかったものなのでしょう。

There’s Something About Mary (1998) 20th Century Fox

この作品では特にキャメロン・ディアス演じるメリーに関して、ポリコレの嵐吹き荒れる今のアメリカだったら批判意見が殺到するでしょう。男の気味悪い、変態チックな妄想に付き合ってくれる都合のいい女、そんなものを私たちに押しつけるな! フェミニストの女性たちからキツイお言葉が飛んでくるかもしれない。

でもこの映画に真に「変態的な」部分があるとしたら、それは男たちの妄想や、それを受けとめるメリーではなく、ファレリー兄弟が黄泉の国という自分たちの脳内ワンダーランドにおいて、かつて実在したメリーという存在を永久保存しようとしたこと、これに他ならないと思います

この歪んだ欲望がこの映画を引っ張っていく強力なエンジンとなっていて、その「歪みが持つ何か」が大ヒットという形に結びついた。平山さんがインタビューでおっしゃっているのはそういうことです。

『歪んだ、けれども純粋な想い』

この欲望は歪んでいるかもしれませんが、亡くなったある女性をせめてフィクションの世界の中だけでも幸せにしてあげたい。その想いだけは一途で純真なものです。僕が最も強くそれを感じたのが本編とは関係のない最後に流れるエンドロールシーンでした。

There’s Something About Mary (1998) 20th Century Fox

そこではキャラクターたちが皆一緒になって楽しそうに歌い、踊っている。男だろうと女だろうと、老いも若きも、同性愛者であろうと障害者であろうと、さらには変態でも殺人者でも、そんなもの関係ない。みんな分け隔てなく一つになっている。

There’s Something About Mary (1998) 20th Century Fox
There’s Something About Mary (1998) 20th Century Fox

実に多幸感あふれるカットで、ここを観ているだけで泣けちゃうぐらいです。正直この映画の中で一番のカットでしょう。このエンドロールシーンへ、メリーを連れてくるためにファレリー兄弟はこの映画を撮った。僕はそう思っています。

There’s Something About Mary (1998) 20th Century Fox

実はこれと同じ、一人の実在する女性を映画という妄想のワンダーランドへ閉じ込めようとした名作がかつて日本映画に存在しました。そして面白いことにエンドロールシーンがこれまたそっくりなんです。それは1983年の公開当時、日本映画史に残る大ヒットを飛ばし、その後も細田守監督のアニメ版など数回に渡ってリメイクされた原田知世主演、大林宣彦監督による「時をかける少女」です。

その2へ続く