『犬殺しは誰か?』
映画は冒頭、カフェの窓ガラスに落書きされた「BE WARE THE DOG KILLER(犬殺しに気をつけろ)」の文字を屋内から俯瞰するカットで始まります。やがてカメラは室内をぐるっと見渡し、ちょうど真ん中に立っているサムを写すことで本作は動き出します。

Under the Silver Lake (2018) GAGA
オープニングとエンディングは映画にとって非常に重要な意味を持ち、監督は皆、その演出に細心の注意を払います。中でもオープニングは映画全体のトーンを規定するものであり、後から観直すと実はその作品全体を象徴していたなんてのも珍しくありません。その視点で注意深く見ると2つのことが引っかかります。

Under the Silver Lake (2018) GAGA
まずは冒頭に出てくる「犬殺し」は誰かと言うこと? 2つめにサムがじっと見つめ続ける店内奥のキッチンスペースにいる2人の女の子です。初めに出てきて、象徴的な音楽がバックに付けられていることからも重要なキャラクターなのかと思いきや、その後は全く出てきません。完全に?です。

Under the Silver Lake (2018) GAGA
けれどこのシーンを最初に置いた以上、やはり大きな意味はある筈なんです。キャラクターでないのなら何が? 僕はサムが執拗に女性2人を見つめ続けるその行為自体に大きな意味があるのだと考えます。いきなり結論を述べますが、本作内で語られる「犬殺し」はサム以外にあり得ません。
『犬とは女性の象徴=メタファーである』
映画を観ていればサラを始めとして何度か女性たちが犬の声で吠えるシーンが出てきます。つまり本作内においては犬は女性を表している。要は「犬殺し=女殺し」だと言うこと。よって先程挙げた冒頭のシーンでサムは次の殺しのターゲットとなる「犬=女性」を物色しているんです。そういう意味ではゾッとするシーンなんですよね。
それらを繰り返した後、最後にホームレスの王から断罪されます。ちなみに彼はサムの内面に存在する良心の象徴なのでしょう。

Under the Silver Lake (2018) GAGA
「お前の過ちが分かるか?」
「いや」
「ポケットにこんなものがあったぞ。なぜ犬のビスケットなんか持ってた?」
「かつて犬を飼っていた女の子のことが好きで……」
「いつのことだ?」
「もう、ずっと昔のことだよ」
「彼女は君を愛するのをやめたのか?」
「そう……」
「なぜ犬のビスケットをポケットに入れていた?」
「彼女とやり直したくて……。犬に食べさせ、耳をなでたかった。楽しかったあの頃に戻るために」
「行っていいぞ……」
Under the Silver Lake (2018) GAGA
サムは失恋の痛手をずっと胸に秘め続けていました。愛した女性に対する想いがやがて恨みへと変化し、犬へ転化され、それらを殺すことで精神的均衡を保っている。もちろんこれは現実ではなく、サムの内面世界の中での事ですが、要は都合の良い責任転換です。
これがシルバーレイクの都市伝説である犬殺しとなった売れない俳優の説明でメタファー(例え話)として語られているのです。売れない俳優はその理由がスターとなった犬のせいだと断定しました。その犬が自分の成功を奪っているだと。


『女をモノ扱いする男たち』
犬とは女性のメタファーであると同時に男の身勝手な妄想だと置き換えることもできます。本作内では女性を物扱いするハリウッドの男たちが実に数多く出てきます。セヴンスら大富豪は金で女性たちを買い上げ、自分と一緒に墓へ入れようとしています。
それを象徴するのがサラがTVで観ている映画『百万長者と結婚する方法』です。映されたシーンではまさに富豪が女を物として「品定め」しています。ちなみにここでも女性は3人であり、セブンスが妻として選んだ女性も3人です。つまりサラはここで己の末路を観ているのです。

モノ化された3人の人形が象徴的に並んでいます。
Under the Silver Lake (2018) GAGA
ヒロインであるサラはとあるパーティー会場ではリビングの中央、ガラスキューブの中にダルメシアン(白黒の縞模様の犬=まさに犬の象徴)柄の水着を着て閉じ込められ、見世物とされていました。酔ったじいさんがガラスを叩いても無反応だったと……。そんな日々を続けるうちに彼女は現世に疲れ、諦め、セヴンスのいいなりになることを受け入れたのでしょう。

上記で述べたことがあるからこそ女たちは反抗し、身勝手な男=サムに向かって執拗に吠え続けるのです。つまり犬殺しとはサムであると同時に全ての男のことでもあるのです。

Under the Silver Lake (2018) GAGA
その5へ続く