『なぜC教=キリスト教はヨーロッパを支配できたのか?』
僕は一時期ヨーロッパの大まかな歴史の流れを識りたいと思い、ザッとではありますが、幾つかの本を読み漁ったことがあります。その一番の理由がキリスト教に関してでした。現在の地球上に存在する、ありとあらゆる国家はヨーロッパの文明で培われた価値観によって縛られています。
ヨーロッパ文明の落とし子であるアメリカが世界の覇権を握っていますし、欧米で生み出されたテクノロジーは世界をリードし続け、その広がりと合わせて、価値観やカルチャーもまた伝播した。
彼らは僕ら日本人と比較すると理知的かつ合理的な人々だとされています。実際、経済の分野でも日本人が何か新しい流れを生み出したという事実はほとんどなく、いつだって彼らの生み出したものを改良し、より良くすることで日本の経済は発展してきました。
第1巻で登場する少年ラファウはまさにそんなヨーロッパ、特に知性を重視した古代ギリシャ精神の象徴であるとも言えるでしょう。
ギリシャ文明の優秀さを証明する一例が幾何学であり、「世界をシンプルに定義できる」という考え方です。幾何学には美が宿り、宇宙を識る基本原理であると彼らは考えていました。全ては単純であり、規則正しい法則性があり、全ては説明可能である。これが今日における科学の出発点です。
そんな合理的で知性を重視するヨーロッパ人がなぜ、僕ら日本人から考えるとあまりに不条理な宗教に拘泥し、暗黒の中世ヨーロッパを生み出してしまったのか?
その2で僕は魚豊さんが描いた「地動説が弾圧される=天動説が真実とされる中世のヨーロッパ世界」というのは主に3つのメタファー(物事の例え)であり、その2つ目が『宗教=神というシステムを発明した人間が、逆にそのシステムに呑み込まれた愚かな歴史』であると述べましたが、次はそれを紐解いていきます。
古代ヨーロッパはギリシャ神話をベースとした多神教の世界であり、ローマ帝国の元でも基本的には、征服地の文化や伝統は抑圧されませんでした。「パクス・ロマーナ」と呼ばれる帝国繁栄の理由の一つが、この各民族の魂とも言うべき、宗教を弾圧をしなかったことが挙げられます。
ですが、やがて帝国内の地域宗教の一つであったユダヤ教の分派であるキリスト教、すなわち今作におけるC教の勢いが大きくなっていく。
様々な宗教に寛容でありながらも、皇帝を神のような存在と考えていたローマ帝国において、絶対的な唯一神を標榜し、ローマ皇帝を神と認めなかったキリスト教を313年、当時の皇帝であったコンスタンティヌス一世が認め、国家としてキリスト教会を正式に支持しました。
そして50年後にはそれ以外の宗教は禁止され、キリスト教がローマ帝国が公認する唯一の宗教となった。ここまでの一連の流れは本作には直接関係ないので、これ以上の細かい説明は省きます。
『なぜキリスト教は必要とされたのか?』
古代末期、ローマ帝国に大いなる脅威が訪れます。ゲルマン人による領土侵略です。北方からやってきた彼らはあっという間に勢力を拡大し、略奪を重ねます。その結果、帝国の力は衰退し、やがて滅亡への道を歩んでいく。反映を極めた「古代ヨーロッパ」がここで終わり、「暗黒の中世ヨーロッパ」が始まっていくのです。
ちなみにゲルマン人とは何か? 僕ら日本人はヨーロッパ人と言うと、乱暴に「白人」とひとくくりにまとめてしまいますが実際は違います。ヨーロッパの人種は大きくは①ゲルマン系、②ラテン系、③スラブ系の3つに分けられ、これまでのギリシャ文明やローマ帝国を築いたのは気候の穏やかな地中海沿岸に住んでいたラテン系の人々です。
髪は褐色で目は黒い人が多く、身長もゲルマン系やスラブ系ほど高くはありません。日本人が一般的に考える「白人=すなわち金髪で目が青く、背が高い」これらの特徴を有するのはゲルマン人です。彼らはイギリスを征服し、やがてその子孫がアメリカに渡っていく。つまり人種的に見れば(今後の世界では違うでしょうが)世界の覇者はゲルマン人なのです。
地中海から遠く離れ、当時は辺境であった、中央&北ヨーロッパを起源とする彼らは南下し、帝国の領土を略奪します。このゲルマン人に加え、その後襲来するノルマン人(ヴァイキング)によってヨーロッパは蹂躙し尽くされます。
これを最も分かりやすく漫画で描いたのが、ヴァイキングに生まれた少年を主人公にした、幸村誠さんの『ヴィンランド・サガ』です。彼らヴァイキングは戦闘にこそ、この世界の喜びが詰まっていると考えていました。略奪やそれに伴う殺人は罪でなく、日々の糧を得るためのごく当たり前の行為だったのです。
読み書きが出来ず、道徳精神もない彼らは蛮族と呼ばれ、部族の長とそれに従う部下によって従属関係を結び、戦い続けました。平和な状態は彼らの求めるところではありません。功名は戦時だからこそ立てられ、長となる人物は戦争による略奪でしか部下を養えないからです。彼らは農業や酪農などは無能な人間のすることと考えていました。
少し横道に逸れますが、幸村誠さんの『ヴィンランド・サガ』も、魚豊さんと同じ暗黒の中世ヨーロッパを舞台としています。お二人とも扱う主題はことなれど、案外目指している到達点は同じだったのかなと思ったりもしました。以下は『ヴィンランド・サガ』のテーマが凝縮された名シーンです。
「なぜ生きなければならないのか」アルネイズにそう問われた時、すぐには言葉が出てこなかった。彼女はもう……死よりも魅力あるものを全て失くしたんだ。生きなければならない責任も全て失くした。彼女にとっては死は恐怖じゃない。最後の救い……安全な安らぎだ。
そんなアルネイズに「だから生きろ」と言えるだけの言葉がすぐには出てこなかった。死を超えるものが欲しい。
アルネイズに胸を張って語ることができる、死を越えた救いと安らぎが『生者の世界』に欲しい。無いなら作る。
幸村誠『ヴィンランド・サガ』第13巻(アフタヌーンKC)
立て、エイナル。兄弟、一緒に来い。ヴィンランドに平和の国を作る。
『ゲルマン人×キリスト教』
話を元に戻しましょう。ローマ帝国滅亡後もキリスト教会は生き残り、教会自体が政府のように機能し、皇帝と同等の力を持ち、ヨーロッパ中の全階級の支配者を管理するようになりました。そこで訪れたのがゲルマン人の襲来です。なんと教会は無くなった帝国の代わりとなる新たなパートナーとしてゲルマン人を選びます。
ゲルマン人がローマ帝国に侵入した際、彼らには帝国を破壊する意図はありませんでした。先に述べた様にただ略奪し、享楽的な人生を楽しみたかっただけです。
だからこそ彼らはローマ皇帝の支配下に置かれることも悪くは思っていなかった。しかし5世紀にもなるとゲルマン人の数が増えすぎ、それぞれが土地を奪い合い、皇帝の支配権が及ぶ場所=治める土地がなくなり、結果としてローマ帝国は終焉を迎えます。
これまではただ享楽的に奪い、殺し、楽しんできたゲルマン人ですが、そうなると自らが支配者となり、国や地域共同体を「運営」する必要に迫られました。しかし読み書きも出来ない彼らにとって、それは全く不得意な事です。
加えて、一つの場所に定住し、農耕や牧畜を行うようになると「税」を取り立てなければならない。これも難しいことでした。なぜならヨーロッパ(ゲルマン人)には日本とは異なる、「私有財産の権利」という中心理念があったからです。日本において庶民=一般階級が「私有財産の権利」を獲得できたのは明治時代以降です。
「私有財産の権利」を中世ヨーロッパに当てはめて考えると、部族の長=王には従うが、土地やそこで得られる物は基本的には自分の物であるという考え方です。農耕や牧畜でなく、狩猟や略奪で生活の糧を得てきたゲルマン人にとっては至極普通の考えでした。
部族の長=王に付いていく理由は、ただ単に戦いに勝てて、略奪できる物が増えるという利得があるからです。能なしの王だと見なすと彼らは簡単に裏切り、その座を奪うなり、その部族から離脱しました。これはまさに『ヴィンランド・サガ』を読めば一目瞭然です。彼らの共同体は「欲」によって結ばれていました。
つまり共同体内での王の財産は決して多くなく、利害関係で繋がる集団だからこそ、王直属の軍隊や自前の官僚制度もない。よって「税」の徴収すら出来ない。これは統治者にとって致命的なことです。なぜなら「富」こそ王が臣下を従えるのに必要な「力の源泉」なのですから……。そこに目を付けたのがキリスト教会でした。
ローマ帝国崩壊後も生き延びたキリスト教会こそが、「ゲルマン戦士の長=王」たちが彼らの領土を統治するための助けができる、たった一つの機関だったのです。教会には古代ギリシャ・ローマ時代から蓄積された学問と智恵があり、何より宗教によって、「彼らが治める領地に元々住んでいた人々の心も掌握」していました。
教会はゲルマン人がキリスト教を受け入れれば、彼らを助けて「税」を徴収し、その結果、より多くの敵を倒せると説きました。何より「私有財産の権利」という概念を持ち、「税」を出し渋る部下たちからも、彼らにキリスト教の教義を植え付けることで、神に対してという名目で「税」を徴収できる利点を説いたのです。
ゲルマン戦士の王らはその申し出を受け入れ、それと引き換えに教会は彼らに対して、キリスト教支持を義務とすることを条件にしました。ここで戦闘民族であり、蛮族とも呼ばれたゲルマン人と、古代ギリシャ・ローマ時代より続いたキリスト教の、何とも不思議な結びつきが成立したのです。
その4へ続く